綾鷹 "猫を棄てる 父親について語る..." 2025年12月10日

綾鷹
@ayataka
2025年12月10日
猫を棄てる 父親について語るとき
村上春樹が、語られることのなかった父の経験を引き継ぎ、たどり、 自らのルーツを綴ったエッセイ。 父から聞いた戦時中の中国での凄惨な体験や、父の履歴、そして父との「ありふれた日常の」記憶が書かれている。 村上春樹が父親との関係性がよくなく、二十年以上まったく顔を合わせなかったし、よほどの用件がなければほとんど口もきかない、連絡もとらないという絶縁に近い状態だったということは意外だった。 父親との関係を文章にすることで、思いも含めて整理していったのだろうか。 自分も親に対して葛藤を抱えているが、どれだけ親のことを知っているのか。。 歴史というと事実の羅列になってしまうが、そこで生きた人達の歴史・想いも引き継いでいく必要がある。 最後の文章が何を意味するかイメージできなかったな。。少し時間を空けて再読したい。 ・人には、おそらくは誰にも多かれ少なかれ、忘れることのできない、そしてその実態を言葉ではうまく人に伝えることのできない重い体験があり、それを十全に語りきることのできないまま生きて、そして死んでいくものなのだろう。 ・いずれにせよその父の回想は、軍刀で人の首がはねられる残忍な光景は、言うまでもなく幼い僕の心に強烈に焼きつけられることになった。ひとつの情景として、更に言うならひとつの疑似体験として。言い換えれば、父の心に長いあいだ重くのしかかってきたものを一現代の用語を借りればトラウマを一息子である僕が部分的に継承したということになるだろう。人の心の繋がりというのはそういうものだし、また歴史というのもそういうものなのだ。その本質は<引き継ぎ>という行為、あるいは式の中にある。その内容がどのように不快な、日を背けたくなるようなことであれ、人はそれを自らの一部として引き受けなくてはならない。もしそうでなければ、歴史というものの意味がどこにあるだろう? ・自らの若い時代と比べて、「こんな平和な時代に生まれて、何にも邪魔されず、好きなだけ勉強できるというのに、どうしてもっと熱心に勉学に励まないのか」と、僕の勤勉とは言いがたい生活態度を見て、おそらく口惜しく思っていたことだろう。 彼は僕にトップ・クラスの成績をとってもらいたかったのだと思う。そして自分が、時代に邪魔をされて歩むことのできなかった人生を、自分に代わって、僕に歩んでもらいたかったのだと思う。そのためにはどんな犠牲も惜しまないという気持ちでいたはずだ。 でも僕にはそのような父の期待に十分こたえることができなかった。 ・そのようにして父は慢性的な不満を抱くようになり、僕は慢性的な痛み(無意識的な怒りを含んだ痛みだ)を感じるようになった。僕が三十歳にして小説家としてデビューしたとき、父はそのことをとても喜んでくれたようだが、その時点では我々の親子関係はもうずいぶん冷え切ったものになっていた。 僕は今でも、この今に至っても、自分が父をずっと落胆させてきた、その期待を裏切ってきた、という気持ちをーあるいはその残滓のようなものをし抱き続けている。ある程度の年齢を越えてからは「まあ、人にはそれぞれに持ち味というものがあるから」と開き直れるようになったけれど、十代の僕にとってそれは、どうみてもあまり心地よい環境とは言えなかった。そこには漠然とした後ろめたさのようなものがつきまとっていた。 ・おそらく僕らはみんな、それぞれの世代の空気を吸い込み、その固有の重力を背負って生きていくしかないのだろう。そしてその枠組みの傾向の中で成長していくしかないのだろう。良い悪いではなく、それが自然の成りたちなのだ。 ちょうど今の若い世代の人々が、親たちの世代の神経をこまめに苛立たせ続けているのと同じように。 ・しかしバターンやレイテで屍となっていった、第十六師団のかつての仲間の兵士たちのことも、やはり彼の頭にはあったに違いない。十分あり得る仮定だが、もし父が違う運命をたどり、かつて所属していた第十六師団の部隊と共にフィリピンに送られていたなら、どちらかの戦場でまず間違いなくバターンでなければレイテで、レイテでなければバターンで1戦死を遂げていただろうし、そうなればもちろん僕もこの世界には存在していなかったことになる。おそらく「幸運なことに」と言うべきなのだろうが、しかし自分一人が命を取りとめ、かつての仲間の兵隊たちがそうして遠くの南方の戦場で空しく命を落としていったことは(その遺骨のうちには、今でも野ざらしになっているものも少なからずあるだろう)、父にとって大きな心の痛みとなり、切実な負い目となったはずだ。そのことを考えると、父が毎朝、長い時間じっと目を閉じ、心を込めてお経を唱えていたことがあらためて腑に落ちる。 ・母の語るところによれば、若い頃の父の生活はかなり荒れていたということだ。戦争の厳しい体験がまだ身体の中に残っていただろうし、人生が自分の思いとは違う方向に流されてしまったというフラストレーションも、それなりにきつかったに違いない。よく酒を飲み、ときには生徒を殴ったりもしたらしい。 しかし僕が成長するにつれて、その気性も行動も次第に温厚なものになっていったようだ。ときどき陰鬱に、不機嫌になり、酒を飲み過ぎることもあったが(そしてそのことで母はしばしば文句を言っていたが)、息子として家庭内で嫌な思いをさせられたという記憶はほとんどない。たぶん様々な思いが、彼の心の中で静かにひっそりと沈殿し、それなりのおさまりを見せていったのだろう。 ・しかし自分が、その人生において果たすことのできなかったことを、一人息子である僕に託したいという思いが、やはり父の中にはあったのだろう。僕が成長し、固有の自我を身につけていくに従って、僕と父親とのあいだの心理的な感は次第に強く、明確なものになっていった。そして我々はどちらも、性格的にかなり強固なものを持っていたのだと思う。お互い、そう易々とは自分というものを譲らなかったということだ。自分の思いをあまりまっすぐ語れないということにかけては、僕らは似たもの同士だったのかもしれない。良くも悪くも。 ・考え方や、世界の見方は違っても、僕らのあいだを繋ぐ縁のようなものが、ひとつの力を持って僕の中で作用してきたことは間違いのないところだった。父の痩せた姿を前にして、そのことを否応なく感じさせられた。 ・たとえば僕らはある夏の日、香櫨園の海岸まで一緒に自転車に乗って、一匹の縞柄の雌猫を棄てに行ったのだ。そして僕らは共に、その猫にあっさりと出し抜かれてしまったのだ。何はともあれ、それはひとつの素晴らしい、そして謎めいた共有体験ではないか。そのときの海岸の海鳴りの音を、松の防風林を吹き抜ける風の香りを、僕は今でもはっきり思い出せる。そんなひとつひとつのささやかなものごとの限りない集積が、僕という人間をこれまでにかたち作ってきたのだ。 ・こういう個人的な文章がどれだけ一般読者の関心を惹くものなのか、僕にはわからない。しかし僕は手を動かして、実際に文章を書くことを通してしかものを考えることのできないタイプの人間なので(抽象的に観念的に思索することが生来不得手なのだ)、こうして記憶を辿り、過去を眺望し、それを目に見える言葉に、声に出して読める文章に置き換えていく必要がある。そしてこうした文章を書けば書くほど、それを読み返せば読み返すほど、自分自身が透明になっていくような、不思議な感覚に襲われることになる。手を宙にかざしてみると、向こう側が微かに透けて見えるような気がしてくるほどだ。 ・もし父が兵役解除されずフィリピン、あるいはビルマの戦線に送られていたら・・・・・・・もし音楽教師をしていた母の婚約者がどこかで戦死を遂げなかったら.....と考えていくととても不思議な気持ちになってくる。もしそうなっていれば、僕という人間はこの地上には存在しなかったわけなのだから。そしてその結果、当然ながら僕というこの意識は存在せず、従って僕の書いた本だってこの世界には存在しないことになる。そう考えると、僕が小説家としてここに生きているという営み自体が、実体をいたただの儚い幻想のように思えてくる。 僕という個体の持つ意味あいが、どんどん不明なものになってくる。手のひらが透けて見えたとしてもとくに不思議はあるまい。 ・それが僕の子供時代の、猫にまつわるもうひとつの印象的な思い出だ。そしてそれはまだ幼い僕にひとつの生々しい教訓を残してくれた。「降りることは、上がることよりずっとむずかしい」ということだ。より一般化するなら、こういうことになるー結果は起因をあっさりと呑み込み、無力化していく。それはある場合には猫を殺し、ある場合には人をも殺す。 ・いずれにせよ、僕がこの個人的な文章においていちばん語りたかったのは、ただひとつのことでしかない。ただひとつの当たり前の事実だ。 それは、この僕はひとりの平凡な人間の、ひとりの平凡な息子に過ぎないという事実だ。それはごく当たり前の事実だ。しかし腰を据えてその事実を掘り下げていけばいくほど、実はそれがひとつのたまたまの事実でしかなかったことがだんだん明確になってくる。我々は結局のところ、偶然がたまたま生んだ ひとつの事実を、唯一無二の事実とみなして生きているだけのことなのではあるまいか。 言い換えれば我々は、広大な大地に向けて降る膨大な数の雨粒の、名もなき一滴に過ぎない。固有ではあるけれど、交換可能な一滴だ。しかしその一滴の雨水には、一滴の雨水なりの思いがある。一滴の雨水の歴史があり、それを受け継いでいくという一滴の雨水の責務がある。我々はそれを忘れてはならないだろう。たとえそれがどこかにあっさりと吸い込まれ、個体としての輪郭を失い、集合的な何かに置き換えられて消えていくのだとしても。いや、むしろこう言うべきなのだろう。それが集合的な何かに置き換えられていくからこそ、と。 ・僕は今でもときどきその夙川の家の、庭に生えていた高い松の木のことを考える。その枝の上で白骨になりながら、消え損なった記憶のようにまだそこにしっかりとしがみついているかもしれない子猫のことを思う。そして死について考え、遥か下の、目の眩むような地上に向かって垂直に降りていくことのむずかしさについて思いを巡らす。 ・僕がこの文章で書きたかったことのひとつは、戦争というものが一人の人間ーーごく当たり前の名もなき市民だーーの生き方や精神をどれほど大きく深く変えてしまえるかということだ。そしてその結果、僕がこうしてここにいる。 父の運命がほんの僅かでも違う経路を辿っていたなら、僕という人間はそもそも存在していなかったはずだ。歴史というのはそういうものなのだー無数の仮説の中からもたらされた、たったひとつの冷厳な現実。 歴史は過去のものではない。それは意識の内側で、あるいはまた無意識の内側で、温もりを持つ生きた血となって流れ、次の世代へと否応なく持ち運ばれていくものなのだ。そういう意味合いにおいて、ここに書かれているのは個人的な物語であると同時に、僕らの暮らす世界全体を作り上げている大きな物語の一部でもある。ごく微少な一部だが、それでもひとつのかけらであるという事実に間違いはない。
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