
キズ
@kotodama
2025年12月11日
傷のあわい
宮地尚子
読み終わった
住み慣れた場所から離れ言葉や習慣の違う国で過ごすことは、全て貴重な経験になる。日本にどっぷり浸かっているより、外の世界から覗いた方がよくわかる。
捨てるから新しいものと出会う。
捨てるのは無駄にすることではなく卒業すること。
何かを失うという事は、きっと何かと巡り会うための前奏曲。
何をして何を持っていくのか。
何をそのまま使い、何を新たなものに置き換えるのか。
それは昔の自分と再開することであり、過去を生産することであり、未来の自分を創造することである。
自分の歩んできた奇跡とこれから歩もうとする奇跡。
その真ん中に立ち止まり、自分の抱える荷物を再点検し、必要なものとそうでないものを見極める作業。
いきがってみるのもよし。しらけてみるのもよし。お祭り騒ぎもよし。孤独に浸るのもよし。ジタバタ苦しむのも涙で枕を濡らすのも無茶食いするのもよし。
決して無駄にはならない。
人間は選択の連続である。
そして選ぶと言う事は捨てると言うことの裏返しにある。たとえその選択が不本意なものであったり、逆らいがたい運命として戦ってきたものであっても、人は常に何かに別れを告げ、何かを選び取り、新しい出会いに心打ち震わせる他は無いのだと思う。
ならば 、どこでも生きていける。
いや、本当に生きていけるのだろうか。
生きていたいのだろうか。
どこででも死ねなくて、生きてもいなくて、
誰かが聞いてくれるのを待っているのではないだろうか。
私は、どこへ行くのか
1人でいること= 内部からの衝撃に対して衝撃を弱めるクッションがない事。バランスの助けになるものは何一つない事。
傷ついた自分をまるごと受け止めてくれるはずの故郷が実際には冷たく拒絶的であった
恋愛・結婚は、「たかが」であり「されど」。なのである。

