
駄々
@inugasuki
2025年12月17日
エレジーは流れない
三浦しをん
読み終わった
のどかでさびれた町に暮らす男子高校生たちのお話。
全員が良いキャラをしていて、読んでいて思わずクスっとしてしまう。
大人になってしまったからこそ、高校生特有の将来に対する思いとか、漠然とした不安とか、そういうのさえも青春だって美化してしまいがちだけど、そのもやつきとか曖昧さこそが青春だよなと思った。
【以下、好きな言葉たち】
「高校の頃、なりたい職業なんてあった?」
「言われてみれば、なかった」
「本当に、子どものころは『なんにでもなれる』って思ってた?」
「全然。はずみで言ってみただけ」
刺激や「いま以上」を求めるだけの精神的余裕がなかったし、自分にできることがあるのかどうかも判然とせず、なにもかもにもあせりを感じてもやもやするばかりだ。このもやつきこそが「若さ」の実態だと言うひともいるはずだが、当然ながら若さのまっただなかにいる怜としては、自身のもやつきを丸ごと受け入れて安らぐことなどできず⋯⋯
語彙がやや少ないがゆえに、心平はほとんどすべての感情を「楽しい」「悲しい」「腹減った」のどれかに分類する。だからこそ、例外的に放たれた「切ない」は、自身のなかに渦巻く思く思いと考えの複雑さを全力で言語化した表現なのだと察せられ、怜としては友の気持ちを受け止めたい。
こういう息苦しさからは、どこで生まれても、たとえば東京やニューヨークみたいな都会に生まれたひとであっても、逃れられないものなんだろうか。心が、つまり脳みそがあるかぎり、ここではないどこかを思い描き、けれど完全な自由を手にすることはできないものなのか。
諦めの星のもと、完璧なる調和を生きる、脳みその囚人たる俺たち。
家族をはじめとするつながりのあるひとたちを完全に振り切って逃走することはできないだろう。むなしさと慕わしさはいつだって裏表だからだ。
眼前にひとやものが複数現れると、比較してどれぐらい差があるのかつい測ろうとしてしまう心性はなんなのだろう。それぞれ比べることなどできない独立した存在なのに。
どんな事態にも動じずにすむような、知恵や腕っぷしや経済力が欲しいと思った。でも、そんな大人はどこにもいない気もした。どれだけの知恵と力とお金を手に入れても、心があるかぎり、たぶんだれしもが、ときにたじろぎ、みっともなく慌てふためき、弱気になってしまうものなのだろう。
「姿形が似ていたとしても、魂は別物よ」
迷惑のかけあいが、だれかを生かし、幸せにすることだってありえる。少なくとも、だれにも迷惑をかけまいと一人で踏ん張るよりは、ずっと気が楽なのではないかと怜には感じられた。

