
時雨崎
@rainstormbook99
2025年12月18日
読み終わった
価値ある人生、ただ生きながらえるだけでなくQOLを大事にした生、それ自体はいいことだと思う。
でも、いつの間にか他人の生の価値まで一方的な尺度で測り始めていないだろうか。
ただ生きていても苦しい難病の人が最後に自分の意思で縋るはずのものが、医者が無益な治療だからと勧めるものに。
難病の人の最後の手段が精神的な問題を抱える人への安易で軽率な解決策に。
ひいては死ぬ必要もないのに「このまま生きていても人間らしい、意味のある人生を送れないから」という独善的な基準のもと「生きるに値する命であるか」判断される。
そうして囲いこんで、本当にそれは、本人の意思や正しい医学的判断で安楽死を選んだと言えるのだろうか。
正直言って、自分が年老いた時に、もしくは障害を得てしまった時、人に迷惑をかけるくらいなら、苦しみながら生きるくらいならば、合法的に楽に死にたいという考えを持たない自信はない。
けど、それは本来必要な安楽死ではなく、経済的に、精神的に、ただ楽だから何も考えずに飛びついているだけなのだろう。
安楽死を合法化するということは、この危険な誘惑を理性で抑えながら、あれも、これも、安楽死で解決しないようにすべり坂を耐えなければいけないということだ。
果たして、そんなことが出来るだろうか?安楽死が無いことで苦しむ人たちがいることを認める一方で、常に問い続けることが必要ということなのもかもしれない。

