安楽死が合法の国で起こっていること
67件の記録
Hitomi@Hitomishe_08262026年5月31日読み終わったもともと希死念慮があるため、安楽死に興味があり読んでみようと思いました。 安楽死は基本的に終末期の患者さんの苦しみを取り除くために考えられたはずなのに、現在ではより多くの生活に困難を抱える人、また臓器提供をよりやりやすくするために精神疾患の人や体が健康でも生きづらさを抱える人まで対象を拡大しようという動きがあると知りとても衝撃を受けました。 また、一回安楽死の処置を決心してもそれを撤回したくなったりと、人間の心の不安定さを考えると、緩和ケアなどは手厚くする必要はあると思いますが、社会に必要ないから、医療資源を圧迫するからなどの理由で安楽死を勧めることはあってはいけないと思いました。 正直な話、読み終わって自分の安楽死に対するスタンスがどうなったのかというのは曖昧なところですが、全ての人が納得のいく最後を迎えられれば1番だなとは思いました。
キイロノシャクナゲ@dondondontaroo2026年4月19日読み終わった専門職を懐中電灯と揶揄しているのが面白いと思ったのでそこから抜粋。以下、また音声入力と少し飛ばしているところがあり、本文ママでないため注意。 --- 専門性とは狭い範囲に詳しいことだから、照らし出せる範囲が狭いことに文句を言うつもりはもない。 困るのは、その狭さを自覚できず、専門性の高さを広さと、勘違いする懐中電灯が少なくないことだ。 そして自分のことを蛍光灯と勘違いした1本の懐中電灯が、張り切ってブンブンと言う協力部屋上、旋回しては、他の懐中電灯が目を回して機能できなくなってしまう。 さらに言えば、その部屋には天井に蛍光灯がちゃんと備わっている。そこにある固有のLIFEを生きてきた、その部屋の住人である本人であり、家族だ。部屋全体を照らし出すことができる。 本人と家族と言う蛍光灯が天井にちゃんとあるのに、懐中電灯たちはそのことに気づかない。そして暗い部屋の中で、自分たちだけがあちこち照らし出してより集まって議論している傾向がある。蛍光灯はスイッチを入れてもらえないまま、指を加えて、天井からそれを眺めていなければならない。 医療の世話になろうと思えば、患者と家族などそんな場面を経験することだろう。
キイロノシャクナゲ@dondondontaroo2026年4月19日読み終わった「安楽死は合法化されるべきか」だけを問う議論からは、個々の人の「小さな物語」のリアリティーの中で、現実の物語を細かく丁寧に解きほぐしていく視点が抜け落ちている。 それでは苦しんでいる個々の人の展望にはならない 。 それでは【社会にとっても最も安直で、安価な問題解決策である安楽死が、誰にとっても、唯一の解決策であるかのように見えてしまう。】 社会が変わる必要からは、目が逸らされたまま問題解決の責が苦しんでいる個々の人に帰されて終わってしまう。社会のありようを考えることと個々の人の苦しみを考えること。どちらか一方だけではなくて、どちらもあって、初めて足元の現実問題が拾われていくのだと思う。 --- 一番そうだなと感じたところをまず記録。 読書時にたくさん付箋をつけていたけれど、全部記録するのは大変なため諦めて、最後のほうに大切なことがまとまっていたように思うので、ほかいくつかも以下に記録したいと思う。 打つのが面倒だったので音声入力しているため、すこしズレているところがあるかも。太字機能がそのうちほしいな。 --- おそらく、最も恐ろしい安楽死の「すべり坂」とは、対象者の拡大や移植医療との接続といった過去の現象ではなく、医療現場で安楽死が日常的な当たり前のことと受け止められていくにつれて、 *医療職が命への畏怖を失い、病み痛む人への心の感動を低下させていくこと* なのではないか。その無関心の冷たさが医療に浸透し、医療の利用を変質させていくことこそが、最も本質的で、恐ろしい「すべり坂」なのだと思う。 死にたいと誰かが訴えるとき、その言葉を学面通りに安楽死の自己決定と受け止めるのではなく、なぜその人はそのそんなことを言うのか、 *まずはその人の語りに真摯に耳を傾けて、その習慣的な苦しみのリアリティーを理解しようと努めること。それを通じて死にたいと言う言葉の裏にある思い、その人がほんとに求めているのは何かを知ろうとすること。そして寄り添いながら共に取り組むこと。* それこそが本来の緩和ケアのある対応だとベルギーのフェルメールやカラスは繰り返し主張していた。私たちの社会が死にたいほど苦しいと言う人を置き去りにしないということもまた、苦しんでいる人にそのようにアプローチをすることではないだろうか。 『患者は痛みに耐えているのではなく、痛みを訴えても聞く耳を持ってくれない医師に耐えているのです』 尊厳死や安楽死を望む人の中には身近な人が冷淡な医療しか受けられず、苦しみも抱えて死ねって体験を持つ人が多い。だから、自分はあんな知り方をしないためにさっさと死なせて欲しいと結論に登るのではなく、 *なぜそう考えるようになったのかその手前のところにあった物語を語って欲しい。身近な人が何どのように苦しんで死んでいったのかそのいようには何が足りなかったのか、自分ならどうして欲しいと思うのかを。*
キイロノシャクナゲ@dondondontaroo2026年4月13日読み始めた新書はどうも読み慣れない。入ってきてるようで入ってこない。難しいなあ。これも時間がかかりそうだ。 医者優位の世界は恐ろしい。中山七里さんのドクターデスをもう一度読みたくなった。 本人の人生が本人をもって決断できない、そんな未来が待ってるのは、怖いな。認知症も、怖い。怖い。
ユッキー@yukky05242026年1月31日読んでるこれはとんでもない。本当に怖いのは安楽死の強制以前のところにあったのか。なぜ医者は出しゃばって人の人生の価値を決めつけてくるのか。その答えが本書にあるだろうか。

時雨崎@rainstormbook992025年12月18日読み終わった価値ある人生、ただ生きながらえるだけでなくQOLを大事にした生、それ自体はいいことだと思う。 でも、いつの間にか他人の生の価値まで一方的な尺度で測り始めていないだろうか。 ただ生きていても苦しい難病の人が最後に自分の意思で縋るはずのものが、医者が無益な治療だからと勧めるものに。 難病の人の最後の手段が精神的な問題を抱える人への安易で軽率な解決策に。 ひいては死ぬ必要もないのに「このまま生きていても人間らしい、意味のある人生を送れないから」という独善的な基準のもと「生きるに値する命であるか」判断される。 そうして囲いこんで、本当にそれは、本人の意思や正しい医学的判断で安楽死を選んだと言えるのだろうか。 正直言って、自分が年老いた時に、もしくは障害を得てしまった時、人に迷惑をかけるくらいなら、苦しみながら生きるくらいならば、合法的に楽に死にたいという考えを持たない自信はない。 けど、それは本来必要な安楽死ではなく、経済的に、精神的に、ただ楽だから何も考えずに飛びついているだけなのだろう。 安楽死を合法化するということは、この危険な誘惑を理性で抑えながら、あれも、これも、安楽死で解決しないようにすべり坂を耐えなければいけないということだ。 果たして、そんなことが出来るだろうか?安楽死が無いことで苦しむ人たちがいることを認める一方で、常に問い続けることが必要ということなのもかもしれない。



yo_yohei@yo_yohei2025年9月9日読み終わった@ シンガポール定期的に、日本の政治家や“インフルエンサー”が安楽死の導入を主張するのを耳にするたび、私は強い嫌悪感を抱いてきました。なぜなら、その発言は優生思想から来るものだからです。 一方で、スイスは“安楽死先進国”として知られ、「進んでいる国」と称されることが多くあります。では本当に、安楽死を導入することが社会の未来のあるべき姿なのか。その疑問を確かめたくて、この本を手に取りました。 本に描かれていたのは、もともと終末期の患者に限定された例外的措置であったはずの“安楽死”が、さまざまな形で要件を緩和され、安楽死が「患者の権利」として、「死ぬ権利」として意味がずらされ、社会全体が死へと誘導されていく姿でした。医療機関が経済的な事情や臓器移植の利害、あるいは患者の気持ちへの無理解や思考停止を背景に、病気や障がいはあるけれど、まだ生きられる人を死へ誘導し、ときに積極的に死に加担しています。 手塚治虫の時代の漫画には、延命治療の果てに人間性を失ってもなお生命維持され続ける姿が描かれていました。しかし実際の未来では、経済的負担や社会からの圧力によって、生きたいと願う患者本人が「自己決定」という名のもとに生きることを諦めざるを得ない状況が広がっているのです。 「死にたい」と口にする人が本当に死を望んでいるのか。その背後には、社会保障や支援の不足があるのではないか。死ぬ以外に解決の道がないのか――そう問い直す必要があります。 本書の後半では、著者の経験に基づく日本の介護現場の実情が詳しく描かれ、そのうえで安楽死(=「死ぬ権利」)を導入すべきかを問うてます。私自身、長年精神疾患を抱えて生きてきたので、崖っぷちで踏みとどまるような生活がどのようなものか、身をもって知っているつもりです。安楽死の導入は、そうした人々を切り捨てるために機能してしまうのではないでしょうか。そして、ギリギリで生きている人を死へと誘導する社会を、果たして「良い社会」と呼べるのでしょうか。 社会が目指すべきは「死にたいと思ったときに死ねる社会」ではなく、「たとえ重い病気や障がいを抱えていても、生きたいと思える社会」だと思います。










- さみ@futatabi2025年8月12日読んでる一章まで 「安楽死という問題解決策が存在することによって、その手前で模索され、尽くされるべき医療や福祉や支援の努力の関係者も社会も手を向けなくなれば、安楽死は耐え難い苦しみを抱えた人への最後の救済手段ではなく、苦しんでいる人を社会から排除する安直なーーそして最も安価なーー問題解決策となってしまう。」


Cota@Cota-CAT4rd2025年8月5日読み終わった本日読了。 260ページ 「誰なら安楽死で死んでもいい、誰は死んではならないと、一体どこで線を引くというのだろう。その線引きはどのように正当化されるというのだろう。そして、忘れないでほしい。いったん引かれた線は動く。」





KIE@Kie_Reads2025年7月6日読み終わった「安楽死」を考えるためには、昨今の「無益な治療」論も念頭に入れる必要がある。患者の臨死期における過剰医療で患者自身を苦しませないこと、と始まった議論だったが、それはすでに悍ましいほどの変貌を遂げている。医療側に無駄だと判断された時点で死を勧められてしまうのだ。 インフォームドコンセントの時点でしっかり理解せずにサイン✍️してしまったら、最期は担当医師の価値観倫理観に決定づけられてしまう。 まだまだ「お医者様」感の強い日本では、「安楽死」を議論する土台ができていないことがよくわかった。



KIE@Kie_Reads2025年6月23日買った「「死にたい」と誰かが訴える時、その言葉を額面通りに安楽死の自己決定と受け止めるのではなく、なぜその人はそんなことを言うのか、まずはその人の語りに真摯に耳を傾けて、その主観的な苦しみのリアリティを理解しようと努めること。(中略)私たちの社会が「死にたいほど苦しいという人を置き去りにしない」ということもまた、苦しんでいる人にそのようにアプローチすることではないだろうか。 個々の苦しみを置き去りにしないためには、「安楽死は是か非か」という問いを「なぜ死にたいほど苦しいのか」という問いへと転じたい」(p260-261) 先日のイギリスでの法案可決で早急に読み始めた。一度底が抜けてしまうと、修復はできないと思ったほうがいいだろう。

ゆべし太郎@skikzy2025年5月14日読みたい某政党(世代間の分断を煽る非科学的な日和見政党)からの出馬歴もある某医師の、優生思想に塗れた醜悪なポストがSNSに流れてきた。以前、共産党の宮本徹さんが紹介されていていつか読もうと思っていたこの本、今こそ読まなきゃだなと思う。
um@__um__g2025年3月13日読み終わった安楽死、尊厳死という選択肢が社会的弱者を切り捨てる理由になってしまうのではないか、と考えさせられた。個人的に安楽死自体を否定するつもりはないけれど、安易に肯定の立場を選ぶことも出来ない、一面だけを見て是非を決めるにはあまりにも線引きが難しく困難な課題。人々が死を選ぶ前に生きるために社会で出来ることはないか?医療とは、法律とはそうあるべきではないか?そういう議論ができる社会でありたい。












































