安楽死が合法の国で起こっていること

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- yo_yohei@yo_yohei2025年9月9日読み終わった@ シンガポール定期的に、日本の政治家や“インフルエンサー”が安楽死の導入を主張するのを耳にするたび、私は強い嫌悪感を抱いてきました。なぜなら、その発言は優生思想から来るものだからです。 一方で、スイスは“安楽死先進国”として知られ、「進んでいる国」と称されることが多くあります。では本当に、安楽死を導入することが社会の未来のあるべき姿なのか。その疑問を確かめたくて、この本を手に取りました。 本に描かれていたのは、もともと終末期の患者に限定された例外的措置であったはずの“安楽死”が、さまざまな形で要件を緩和され、安楽死が「患者の権利」として、「死ぬ権利」として意味がずらされ、社会全体が死へと誘導されていく姿でした。医療機関が経済的な事情や臓器移植の利害、あるいは患者の気持ちへの無理解や思考停止を背景に、病気や障がいはあるけれど、まだ生きられる人を死へ誘導し、ときに積極的に死に加担しています。 手塚治虫の時代の漫画には、延命治療の果てに人間性を失ってもなお生命維持され続ける姿が描かれていました。しかし実際の未来では、経済的負担や社会からの圧力によって、生きたいと願う患者本人が「自己決定」という名のもとに生きることを諦めざるを得ない状況が広がっているのです。 「死にたい」と口にする人が本当に死を望んでいるのか。その背後には、社会保障や支援の不足があるのではないか。死ぬ以外に解決の道がないのか――そう問い直す必要があります。 本書の後半では、著者の経験に基づく日本の介護現場の実情が詳しく描かれ、そのうえで安楽死(=「死ぬ権利」)を導入すべきかを問うてます。私自身、長年精神疾患を抱えて生きてきたので、崖っぷちで踏みとどまるような生活がどのようなものか、身をもって知っているつもりです。安楽死の導入は、そうした人々を切り捨てるために機能してしまうのではないでしょうか。そして、ギリギリで生きている人を死へと誘導する社会を、果たして「良い社会」と呼べるのでしょうか。 社会が目指すべきは「死にたいと思ったときに死ねる社会」ではなく、「たとえ重い病気や障がいを抱えていても、生きたいと思える社会」だと思います。
- さみ@futatabi2025年8月12日読んでる一章まで 「安楽死という問題解決策が存在することによって、その手前で模索され、尽くされるべき医療や福祉や支援の努力の関係者も社会も手を向けなくなれば、安楽死は耐え難い苦しみを抱えた人への最後の救済手段ではなく、苦しんでいる人を社会から排除する安直なーーそして最も安価なーー問題解決策となってしまう。」
- Cota@Cota-CAT4rd2025年8月5日読み終わった本日読了。 260ページ 「誰なら安楽死で死んでもいい、誰は死んではならないと、一体どこで線を引くというのだろう。その線引きはどのように正当化されるというのだろう。そして、忘れないでほしい。いったん引かれた線は動く。」
- KIE@Kie_Reads2025年7月6日読み終わった「安楽死」を考えるためには、昨今の「無益な治療」論も念頭に入れる必要がある。患者の臨死期における過剰医療で患者自身を苦しませないこと、と始まった議論だったが、それはすでに悍ましいほどの変貌を遂げている。医療側に無駄だと判断された時点で死を勧められてしまうのだ。 インフォームドコンセントの時点でしっかり理解せずにサイン✍️してしまったら、最期は担当医師の価値観倫理観に決定づけられてしまう。 まだまだ「お医者様」感の強い日本では、「安楽死」を議論する土台ができていないことがよくわかった。
- KIE@Kie_Reads2025年6月23日買った「「死にたい」と誰かが訴える時、その言葉を額面通りに安楽死の自己決定と受け止めるのではなく、なぜその人はそんなことを言うのか、まずはその人の語りに真摯に耳を傾けて、その主観的な苦しみのリアリティを理解しようと努めること。(中略)私たちの社会が「死にたいほど苦しいという人を置き去りにしない」ということもまた、苦しんでいる人にそのようにアプローチすることではないだろうか。 個々の苦しみを置き去りにしないためには、「安楽死は是か非か」という問いを「なぜ死にたいほど苦しいのか」という問いへと転じたい」(p260-261) 先日のイギリスでの法案可決で早急に読み始めた。一度底が抜けてしまうと、修復はできないと思ったほうがいいだろう。
- ゆべし太郎@skikzy2025年5月14日読みたい某政党(世代間の分断を煽る非科学的な日和見政党)からの出馬歴もある某医師の、優生思想に塗れた醜悪なポストがSNSに流れてきた。以前、共産党の宮本徹さんが紹介されていていつか読もうと思っていたこの本、今こそ読まなきゃだなと思う。
- um@__um__g2025年3月13日読み終わった安楽死、尊厳死という選択肢が社会的弱者を切り捨てる理由になってしまうのではないか、と考えさせられた。個人的に安楽死自体を否定するつもりはないけれど、安易に肯定の立場を選ぶことも出来ない、一面だけを見て是非を決めるにはあまりにも線引きが難しく困難な課題。人々が死を選ぶ前に生きるために社会で出来ることはないか?医療とは、法律とはそうあるべきではないか?そういう議論ができる社会でありたい。