
yo_yohei
@yo_yohei
2025年12月19日

刑事司法とジェンダー増補
牧野雅子
読み終わった
@ シンガポール
2024年12月、滋賀医科大生による集団の性暴力事件について、高裁で逆転無罪判決が出た。この判決に疑問を持った人たちから抗議の声が上がったのだが、一部の弁護士やインフルエンサーが「判決文も読まずに抗議をするな」などと冷笑し、声をあげた人たちを黙らせようとした。無罪判決を出した高裁と冷笑しぐさの人たちに強い違和感を抱いた私は、刑事事件には構造的に重大な欠陥があるのではないかーー、そう感じるとともに、冷笑しぐさの人たちと距離を置くためにも、本書を手に取った。
本書は、前半と後半で分かれている。前半では、実際に起きた性暴力事件について、取り調べの段階から判決に至るまでが詳細に追っている。ここで私が強く感じたことは、取り調べから判決まで、性犯罪の扱い方には「型」があるということだ。(もちろん性犯罪だけでなく、全ての犯罪には「型」があるのだろう。)その「型」に、本来多様であるはずの事件を押し込めようとすると、重要な部分がこぼれ落ちてしまう。結果、「あの事件はなぜ起こったのか」という大事な問いに対する応答は闇に葬られる。さらに深刻なのは、警察や検察、司法が用いる「型」には強烈な偏見が内包されている点だ。捜査から判決に至るまでの過程で、その偏見・スティグマが再生産されていってしまう。
後半では、加害者の語りと、著者と加害者のやりとりが描かれる。取り調べでは「型」に押し込められ、極端に単純化されていた加害者像とは異なり、ここでは一人の固有の人間としての加害者が立ち上がってくる。それは、取り調べや判決で押し込まれた「型」には収まらない、加害者が自由に証言した歪んだ認知からくる生の語りだ。この強烈に歪んだ認知は、読んでいるだけでも非常に苦しかった。
もちろん刑事司法システムで問題になっているのは、スティグマの再生産だけではない。警察による防犯活動から司法の判決に至るまで、被害者の落ち度を責め、性犯罪を被害者の責任にしようとする動きはいたるところにある。だからこそ、「それはおかしい」という、冷笑にかき消されない世論形成を築くことから始めないといけないのであろう。



