
ジクロロ
@jirowcrew
2025年12月19日
ムーミンパパ海へいく [新版]
トーベ・ヤンソン,
冨原眞弓,
小野寺百合子
ちょっと開いた
「きみがわかっていないことがひとつある。きみはこの島の面倒をみるべきなんだ。自分はえらいんだぞと威張りちらすかわりに、この島を守り、慰めてやるべきなんだよ。わかるかい?
……
きみはわたしたちにもおなじようなことをした。あらゆる手をつかっていじめてくれたが、そうはうまくいかないさ。わたしたちは切りぬけてきたからね。わたしはきみを理解しようとしたが、きみにはそれが気に食わなかった。それでも、わたしたちはともかくこの島で生きてきたのさ、そうじゃないかね?(…••)わたしがこんなことを言うのも、ただ、そうだな、まあ、きみが好きだからさ。」
「きみ」とは海のこと。
ムーミンパパは海に語りかける。
敵ではなく仲間として。
仲間と認めることは、自分の一部として。
ムーミンパパは海を受け入れる。
そもそもムーミンパパが
「海」として語りかけるその対象は、
ムーミンパパ自身のうちに潜む
パパ自身が最も恐れている性質を
外部化したもの。
「島」は海に浮かんでいるのではない。
それは海の下に根を張っている。
「島」として海の上に現れているのはごく一部。
外から押し寄せてくる言葉と、
それによる思考により翻弄され続けるより他に
存在しえない自我。
「海」とは「パパ(父親)」という肩書きに
まとわりつく、造られた理想像。
「島」とは、パパという肩書き以前(名辞以前)の
自然体の姿。生来の気質。
「海」が「島」を襲うのは、
「パパ(父親)」という像の理想的気質として、
家族に「権威」を振る舞うべき存在として
ムーミンパパのうちに巣食ってしまったから
ではないか。
それでは、「パパの和解」とは……
それは読者自身でお考えください、
ということか。
「パパ」とは、理解するものではなく
受け入れるべき、愛すべきものであるということ。
問いの中にすでに答えがあるやつ。



