
かる
@karu
2025年12月20日
考察する若者たち
三宅香帆
読み終わった
この本自体が「最適化に抗う」を体現しているのかもしれないと思いました。
私は三宅香帆さんの本が好きです。
好きだけど私に先んじて私の感覚を言葉にされた悔しい!と思うことが多いです。
三宅さんの著作を読んでいると、論理展開とか、用語の定義とか、データの示し方とか、私の考えとちょっと違うかもと思う部分もあるのですが、それを上回る「私の生活実感を言葉にしてくれている」という信頼があります。
それはおそらく私が三宅さんと同世代で、部分的に文化的背景を同じくしているからではないかと思います。(本書でたびたび言及される『スキップとローファー』や『ようこそ!FACTへ』は私も愛読しています)
そのうえで、三宅さんの文章や価値観は新書という形式や、新書読者にマッチしないのではないかと考えていました。
本書にも出てきた「界隈」が違うという感覚です。
たとえばタイトルを課題感を煽るようなものにせず、四六判のソフトカバーで柔らかい印象の装丁で出版すれば、批判も減るのではないかと考えていました(書いていて思いましたが、そもそもそれだと商業的にここまで成功しないかもしれません笑)
しかし、本書を読んで私のそうした考え方そのものが正解を求める「最適化」する若者らしい振る舞いだったのではないかと反省しました。
同質的な読者に受け入れられるように言葉を発するのではなく、分かり合えないかもしれない人も手に取りうる媒体やタイトルで自分の考えを発信すること。おそらく自らの価値観が絶対ではないことをしきりに突きつけられる困難と向き合うことは、とても尊敬に値する行為だと思います(少なくとも匿名で無責任に好き勝手言っている私よりよっぽどすごい)。
本書で三宅さんは次のように考察と批評を異なるものとして定義しています。
考察:作者の正解を予想するゲーム
批評:自分の解釈を発言する営み
三宅さんは批評を正しさを求めず自分らしさを大切にする行為であり作者の正解を探るより好ましい行為と捉えているようです。正直私は、かつての批評空間にも界隈的な空気はあったのでは?と本書の批評の定義を些か理想化しすぎだと感じながら読み進めていました。しかし、本書を最後まで読んで、この「批評」観が腑に落ちると批判的な思いは和らぎました。
本書で言う「批評」とは、かつての批評界隈の分析ではなく、三宅さん自身が、ともすればプラットフォームやアルゴリズムの力も相まって最適化に流されやすいこの時代において、理想化された「批評」的な振る舞いを心がけていることの表明だと思います。
本書を最後まで読んで、そう捉えるようになったことで、素直に三宅さんの令和の若者観へ共感できるようになりました。
てか、最適化したい欲とこのまま流されていいのかという葛藤がせめぎ合うのめちゃくちゃ分かる! 私の感覚がすごく言葉にされている! 悔しい!


