
夜凪 順
@yonagijun
2025年12月21日

読み終わった
この書籍を手にとったとき、私は信じていたのだ。
あたたかいご飯を通じ、これまたあたたかい人間模様が描かれているのだと。
しかし、読み始めて数ページで"誰かの生活の一部を覗いている“ような感覚に陥った。
それほど現実的で、生々しくて、実際の生活の中で経験している部分があるからだ。
そして、高瀬隼子さんは胸に渦巻くもやもやとした気持ちを言葉にすることが上手だなと、率直な感想が生まれた。
そして解説の一穂ミチさんも、恐らく大半の読者の言いたいこと・思ったことを明確に言語化していてくれて、赤べこのごとく頷くばかりだった。
二谷の台詞である「洗わないで放置した鍋の中に濁った水みたいな胸の内」、なんとも不快で触れるのも躊躇ってしまうような気持ちだろうか。
前後の文脈と合わさるとそこまで"う……っ”と、込み上げてくるものはないはずなのだが、終幕に向かうにつれて二谷の食事に対する嫌悪感が露わになっていく様子が強烈だった。
ちなみに、私は食事に対しては二谷よりの考えだ。
お菓子の甘ったるさ、咀嚼、手作りへの信仰にも似たおべっか、決まり文句。
食事で時間を取られるくらいなら本を読み漁りたい、仕事のことを忘れて惰眠を貪りたいし、一粒で一日の栄養素を摂取できるサプリメントがあったならそれで済ませたいほどだ。
体を大切になんてどの口が言うか、負担の皺寄せによって仕事だけで一日を終えてしまうような人間に、細く、繊細で、儚げな芦川はどのような心境で言葉にしたのだろう。
この物語は二谷と押尾の2人の視点で描かれているため、芦川の腹の底が読み取れないことが薄気味悪さを増幅させているように感じた。
諦念、眺望、妬み嫉み、でも完全な憎悪まではいかないから憎みきれない。
でもこのご時世、おおっぴろげに不満を漏らすことも難しいわけで。
味わったことのある感覚を指でなぞられるようで、図星とでもいうか。
誰かが無理できなくて、でもその分ほかの誰かが肩代わりして世界は回る。
じゃあ、肩代わりした誰かの気持ちは何処へ行くんだろう、何処で消化すればいいのだろう。
……と、ここまで書いて本のタイトルにもう一度目を向ける。
二谷の妹の台詞も相まって、下手な怪談話よりも恐ろしいことが頭をよぎってしまった。
このタイトルは、果たして誰の祈りで、願いなのだろう。
私たちには言葉がある、感性がある、理性がある。
どうか嫌なことや苦手なことがあるならば、言葉にする勇気をもってほしい。
言葉にしても通じない化け物じみた人間が相手ならば、押尾のように環境を変えてほしい。
どの立場の登場人物も何処かで見覚えがあるからこそ、読了後に味わう失敗した料理やお菓子を無理矢理胃に流し込んだときのようなこの不快感を、私はビールの代わりにミルクティーで飲み下している。


