

惰眠
@damin__404
のんびりと気ままに読書中。
言葉の海に溺れて、文章を編むのが好きです。
- 2026年4月10日
夜なのに夜みたい岡野大嗣読み終わった「アディショナルタイム あなたが雑踏に紛れて粗い画素になるまで」 唐突だけど私は乱視が酷い。 夜の街並みはイルミネーションになる。 信号も、人も、街灯も。 なので、粗い画素という表現が胸にすとんと落ちた。粗くなって一粒の灯りになるのだ。 夜なのに夜みたい。 この書籍のタイトルでもあるが「当たり前のことでしょう?」という反面、“夜みたい”の気持ちがわかってしまうのが不思議である。 今回の書籍は本当に街中を歩き、日々を過ごし、気になることを絵ではなく言葉でスケッチしたような1冊だった。岡野さんの感性や見ているものに少しだけ触れられたようで、日常をこうして言葉で彩れることに感嘆のため息が漏れた。 1本のコスモスを宇宙との交信に例えるなんて、遊び心もあって素敵じゃないか。私もそんな感性で生きることができたのなら、もっと色鮮やかな景色が広がるのだろうか。 (サイン入りの書籍を購入できて嬉しい……) - 2026年4月6日
花のうた左右社編集部読み終わったどこから開いても〈花〉があふれる、はじめて短歌に触れるひとにむけた、とっておきの100首を集めた1冊。 満開の桜、野に咲くたんぽぽ、雨の日の紫陽花、凛とひらく百合、色とりどりの薔薇、大輪のダリア、金木犀の香り、枯れてゆく花束……100人の歌人がうたった、わたしだけの花のうた──。 喜び満ちたときに華やぐ花々は、誰かとのお別れでも彩られるものだと気付かされた。 そう、棺の中もそうだろう。ある詩人のように「花なんて入れやがって」と起き上がってほしい友人がいる。もう会えないけど、思い出すたびに天国で色とりどりの花が降り注いでいてほしい。 - 2026年4月4日
読み終わった尾崎放哉の伝記小説。 「咳をしてもひとり」でも知られる尾崎放哉は、種田山頭火と並び称される自由律俳句の第一人者。 東京帝国大学卒のエリートでありながら職と家族を捨て、寺男となり、孤独と貧窮のなか俳句を詠み続けた。その放哉の生涯を俳句とともに追う。 そして、若き日の初恋に刮目し、その実らなかった恋が放哉にもたらしたものとは何か──。 俳句に疎い私でも耳にしたことのある「咳をしてもひとり」の背景で、ひとりの人間の壮絶な人生を垣間見た。 恋焦がれた想いを塞ぎ込み、陰謀渦巻く社会に揉まれ、自身の死場所を求めるような生き方をできるだろうか。私なら社会から離れることはあっても、堂守や寺男にまでなれるだろうか。 今の社会制度だからこそ寺男まではいかない、という面はあるかもしれないが、放哉の気持ちは相当なものであったのだろうと手紙から伝わった。 どうか周囲の理解があって、芳衛との恋を成就することがあったなら、もっと別な道があったのだろうかと心苦しくもあった。 これは書籍の内容とは少し逸れるが、余白のある時代が少し羨ましくもあった。現代は数秒で情報が更新されて連絡も届いてしまう。 こうして手紙でやり取りをするということが、気長に返事を待てるという時代が恋しく思う。 - 2026年3月20日
点と線松本清張かつて読んだ九州博多付近の海岸で発生した一見完璧に近い動機づけを持つ心中事件、その裏にひそむ恐るべき奸計。汚職事件にからんだ複雑な背景と、殺害時刻に容疑者は北海道にいたという鉄壁のアリバイの前に立ちすくむ捜査陣……列車時刻表を駆使したリアリスティックな状況設定で推理小説界に“社会派”の新風を吹きこみ、空前の推理小説ブームを呼んだ秀作。 何度読んでも面白いと思わせてくれる一冊。 アリバイを崩すためにここまで深く考え込む小説は少ないのではないだろうか。 容疑者は恐らく誰彼だろうと検討はつくものの、決定的な証拠はない。 情況証拠から推測し、まさに“点”が“線”となって繋がっていく様は興奮を覚える。 - 2026年3月12日
かつて読んだ大御所ミステリ作家の宮内彰吾が死去した。宮内は妻帯者ながら多くの女性と交際し、そのうちの一人と子供までつくっていた。そのうちの1人である主人公。 「親父が『世界でいちばん透きとおった物語』という小説を死ぬ間際に書いていたらしい。何か知らないか」宮内の長男からの連絡をきっかけに始まった遺稿探し。 編集者の霧子さんの助言をもとに調べるのだが――。 さらりと読みやすい物語だったと思うが、衝撃という衝撃はなく予測もできてしまった。 いくら奔放な父だったとしても人としてやるべきことは他にあっただろうなどと、個人的にもやもやとするところもあったのが本音である。 紙媒体だからこそのギミックは、残念ながら同人誌ですでに見た手法だったのが残念。 続巻も購入はしているが読むだろうか……と、悩ましい1冊だった。 - 2026年2月20日
幸せになる勇気古賀史健,岸見一郎読み終わった「嫌われる勇気」の話から3年ぶりに哲人を訪ねた青年が語る衝撃の告白。それは「アドラーを捨てるべきか否か」という苦悩だった。アドラー心理学は机上の空論だとする彼に「貴方はアドラーを誤解している」と哲人は答える。アドラーの言う、誰もが幸せに生きるためにすべき「人生最大の選択」とは何か──。 前作「嫌われる勇気」では課題の分離に随分と助けられた。今回は幸せに生きるためが主題となり、日々無意識下で行えていることや見たことのない角度から物事を考えさせられた。 尊敬、人の愛し方。SNSなどでの関係が増えてきた昨今だからこそ難しいことだらけ。AIと話している方が心地よいと思う人もいるだろう世界で、現実を生きやすくする考え方が記されていた。 ただし、何もない日々だからこそ実行することも継続することも難しい。 かくゆう私も、たった数行のメッセージを10年という空白をあけた友人に送ることさえ怖かった。どんな反応をされるのか……と。しかし、そこは課題の分離であり、最良の別れを目指して実践したのだ。 結果は呆気ないほどシンプル。 かつての友人の姿で返事が返ってきた。 どうか誰もが健やかで、満ち足りた日々でありますように。 - 2026年2月16日
- 2026年2月16日
読み終わった100mだけ誰よりも速ければ、どんな問題も解決する──。 『チ。-地球の運動について-』の魚豊、“全力疾走”の連載デビュー作。 「100m走」に魅せられた人間たちの、狂気と情熱の青春譚。 なんでもいい、何かに本気になれるっていいですよね。 私は諦念な性格をしているので何かを始めては諦めてを繰り返してしまいます。 0.1秒でも勝敗を決する世界というのは、私の想像が難しい景色。 でも学生時代、とっても綺麗な姿勢でグラウンドを駆けていた同級生を思い出します。 あの子も笑顔の裏では喜びや悔しさといった感情が胸に渦巻いていたのだろうか。 たとえ学生じゃなくなったとしても、本気になれることは素敵なことだと思います。 普段漫画は電子書籍派なのですが、この本だけは紙媒体で思いを馳せながら頁を捲りました。 私も本気になれること、見つけたいものです。 - 2026年2月16日
死んでしまう系のぼくらに最果タヒ読み終わった多くの詩人たちは、宇宙や未来や自分や自分の本棚を見つめて詩を作ってきた。それもいいだろう。 でも、最果さんは、みんなとみんなが住んでいるこの世界を見つめて詩を作る。 そして、それを、ぼくたちみんなに、届けてくれるんだ。 ── 高橋源一郎(帯コメントより) 友人が死んだことを知った2日後に読了。 友情とか愛とか、私の中身はぐちゃぐちゃになっている。 その報せを聞いた直後は悲しみだった。 泣いて、泣いて、泣いて、目をパンパンに腫らした。 しかし、数日経つ頃には怒りが湧いた。 どうして彼が死なないといけないのかと。 そんな胸中、本棚から手に取ったのは本書だった。 自棄になっていたのかもしれない。 「どうせ最期には皆死ぬのだ」と、ぐちゃぐちゃになったまま夢中になって読んだ。 白い骨、愛、言葉は色彩。 愛されたがっているようで、“好き”から一歩退いているような、臆病な、そんな詩が好きだった。 夜道で家まで送ってくれるような彼との時間は心地よく、それが性欲によるものだったとしても、純粋な男女の友情だったしても、本書はやけに彼を思い出させるのだ。 月並みな言葉だけど、優しすぎたのだ。 詩にもあるように、世界を、私を恨んでくれたのなら、まだ生きていてくれたのかな。 いや。結末は変わらなかったのかな。 だってこれは私が楽になるための思考だから。 どうか、生きていてください。 それだけでいいので。 - 2026年2月15日
「頭の中のひとりごと」を消す方法鈴木裕介読み終わった考えすぎは、毒になる。 頭の中の“ひとりごと”に振り回されていませんか? 気づくと「あの時の失敗」「あの人の反応」が頭の中でぐるぐる……。 止めたいのに、止まらない“ひとりごと”。 本書は、人の心を支える専門家・鈴木裕介氏が、心理学・脳科学の知見をもとに、あなたを疲れさせる“ひとりごと”から自由になる方法をやさしく解説する一冊である。 私はうつ病に加えて不安障害、PTSDまで患っている。 鍋底にこびりついた汚れのように、自己否定の言葉がぐるぐるするタイプである。 そしてお恥ずかしながら、本書を読むまで反省と反すうはほぼ同義だと思っていた。 脳の仕組みを、ゲームや漫画の台詞を持ち入りながらわかりやすく解説されている。 嘘松という言葉が出てくるあたり、10代の子達が読んでも理解しやすいのではないだろうか。 読了後はもう少し肩の力を抜いて生きてもいいのだと、やっと深呼吸ができた気分だった。 不安や誰かの声に惑わされそうになったときの対処方法もあり、何より私は脳の仕組みを少しでも詳しく知ることができたため、“この不安や声は過去のもの”と立て直すことができそうだ。 - 2026年1月29日
一次元の挿し木松下龍之介読み終わったヒマラヤ山中で発掘された二百年前の人骨。大学院で遺伝人類学を学ぶ悠がDNA鑑定にかけると、四年前に失踪した妹のものと一致した。不可解な鑑定結果を担当教授の石見崎に相談しようとした矢先、石見崎は何者かに殺害された。古人骨を発掘した調査員も襲われ、研究室から古人骨も盗まれた。悠は妹の生死と、古人骨のDNAの真相を突き止めるべく動き出すが、予想もつかない大きな企みに巻き込まれていく──。 とうとう読み終えてしまい名残惜しい作品。 何が驚きかと、元々松下さんは小説家になりたいわけではなかったにもかかわらず、ここまで人を惹きつける作品を書けるという点だ。 かなり、いや相当羨ましいものである。 読了後は映画一本見終えたような充足感に包まれる。また、中弛みしない展開に巧みな視点誘導、そこかしこに散りばめられた伏線が一本となったとき、思わず声をあげそうになってしまった。 気持ちは主人公である悠と一緒だ。 “もう君と出会っていたのか……”と。 遺伝子の話も多く出てくるが、つい興味を惹かれてしまうくらいにわかりやすい。 ひとつの次元・方向だけで構成される状態、または「線」の広がりへの挿し木。SFめいた部分もありながら、何処かでもしかしたら……と思わせる描写がたまらない一冊だった。 - 2026年1月24日
月のうた左右社編集部かつて読んだどこから開いても〈月〉がみつかる、はじめて短歌に触れるひとにむけた、とっておきの100首。夜をみあげれば、ほそい月、まるい月、あかるい月、みえない月、おおきな月、とおい月、つめたい月、もえる月……うつろう月のもとに100人の歌人がうたった、わたしだけの月のうた──。 私は偶然立ち寄った丸善でのポップに目を惹かれた。 恐らく店員さんが手作りで用意したのか、歌人の一首を印刷したものが掲示されていた。 そのなかでも、私が短歌に触れるきっかけとなったのが寺井奈緒美さんの一首だった。 ぜひ実際に手に取ってもらいたくこの場での内容は差し控えるが、気持ちが雑巾のようにすり減り、汚れ切っていた私の心を温かくしてくれた……それほど優しいものだった。 寺井さんの他にも素敵な短歌を詠む人が大勢おり、すべてを声に出して読んだ。 どういうわけか、声に出して読みたくなるような一冊だったのだ。 月の他にも花や雨、海などをテーマにしたものがある。 表紙もテーマに沿ってこだわり抜いたであろうことが感じられる。 冬夜のお供に、もしかしたら“推し”の歌人に出会うきっかけになるやもしれません。 - 2026年1月24日
斜陽太宰治読み終わった最後の貴婦人である母、破滅への衝動をもちながらも“恋と革命のため”生きようとするかず子、麻薬中毒で破滅してゆく直治、戦後に生きる己自身を戯画化した流行作家上原。 没落貴族の家庭を舞台に、真の革命のためにはもっと美しい滅亡が必要なのだという悲愴な心情を四人四様の滅びの姿のうちに描く──。 何度読んでも、太宰さんの作品の湿り気や艶かしい表現がたまらない。 恋と革命に生きたかず子に同意こそできないが、この時代では普通だったのだろうか。 やはり死ぬ間際の人間とは、誰にも相談せずに逝ってしまうだろうか。 ある人物の遺書は、頁を何度も指でなぞりながら読み進めるほどだった。 誰か相談できる相手がいたら変わっていただろうか。否、きっと終わらせただろう。 しかし、秘めたる恋心はあまりにも純粋で真っ白だったものだから、私は好ましい。 ある種の革命を遂げたかず子はきっと、マリアとして子のため強く生き続けるのだろう。 太宰さんの代表作であり、彼の境遇と少し重なるとこのあるこの作品が読み切れたこと、大変光栄に思った夜明け前だった。 - 2026年1月16日
100分間で楽しむ名作小説 白痴坂口安吾読み終わった白痴の女と火炎の中を逃れ、「生きるための、明日の希望もないから」女を捨てていく張り合いもなく、ただ今朝も太陽の光が注ぐだろうかと考える。戦後の混乱と頽廃の世相にさまよう人々の心に強く訴えかけた表題作である──。 白痴の意味を知ったのも、戦争による焼夷弾などの威力の怖さに身震いしたのもこの作品。 家人に疎開の経験がある者がいたため幼い頃から耳にしていたが、ここまで臨場感ある表現だと読んでいる間に手に汗を握ってしまい、グラシン紙が湿ってどうしようもなかった。 初めの感想としては"爛れてますねぇ…"という言葉が自然ともれた。 時代が時代ということもあるだろう。今ではどこまで明け透けに言葉にできるだろうか。 所々共感めいた気持ちになったところもあった。 いただく給与で制限されることの多さ、理想と現実の狭間でヤキモキとする部分だ。 私自身仕事上で似たような気持ちになっていたところだったので、ひとつ頷いたところだ。 そして、白痴の女。 書籍に購入する決め手となったのが「死ぬ時は、こうして、二人いっしょだよ。」という一文だったのだが、そこで登場してあまつさえ喜びとも言い難い感情を見出したのか、と。 愛情はないにしろ肌に触れ、人目を気にしながらも連れ立って逃げ出し、その言葉を口にできた時点で相当の覚悟がおありのように感じたのだがどうなのだろうか。 伊沢に近しい人間だったとしたら、脇腹をついと小突いて真意を尋ねたいところだ。 そして、私はこの台詞は好きな方だ。 全体的な内容で得手不得手はあると思うが、命をギリギリ繋いでいる状況で言えるかと問われたら、白痴の女を一時的にでも大人しくさせるための方便だとしても言葉にできない。 むしろ言われてみたいとさえ思った。 100分間で楽しむ名作小説では解説が見受けられなかったため、解説付きのものをもう1冊買おうかと考える夜冬の読書だった。 - 2026年1月15日
一日の終わりの詩集長田弘読み終わったとうとう読み終えてしまいました。 言葉が軽んじられてしまう時代に、言葉や日々と向き合う詩はどれも実直に感じた。 読了後は「私は……」と、色々と考えさせられてしまった。 私は何でも言葉にしたいがため余白や沈黙に対して、少し抵抗感があるのだ。 でも、長田さんの詩を読んでいると、その沈黙こそが私にとって必要なものだったのかなと、そう思い直すことができた。 追記 2026.01.15 ----- 誰かに必要とされたくて、俗に言う何者かになりたかった。 愛に飢えて、身を削って差し出すような生き方の私にとって、人生観を変えた詩だった。 ひとりでいてもいいのだと、愛なぞ名詞で説明できない存在に振り回されて。 でも愛があるからこそ優しくもなれて、美しくも見えて、それでいいとでも言うように。 私の勝手な解釈で御本人にそんな意図はないのかもしれないけど、そう汲み取ったのだ。 こんなにも読み終わりたくないと思った詩は初めてで、残りの頁が減ってゆくのが寂しい。 読み進める手、読み終わりたくない気持ちの二律背反、憂うこの感覚が愛でもいいのかな。 最後の章まで進んでしまった。 手で触れている感覚、見聞きしたもの、今この瞬間を写真のように切り出して、栞みたいに詩の余白に挟み込めたらいいのに。 私は、間違いなく誰かの言葉で生かされてる。 - 2025年12月25日
あなたに犬がそばにいた夏佐内正史,岡野大嗣かつて読んだ腕時計にちょっとした小銭ケースを持ってふらりと出掛けるような、それくらい気楽に、そして感じたままに言葉を短歌として形作っていいのだと教えてくれた一冊でした。 そこに犬はいない。でも誰かの煌めく未来や、真正面から受け止めた現在、懐かしさと不安が一緒に住まうような温度や香りが確かに此処にあった。 立ち止まってひとりの私に、まるで思い出を分け与えてくれるみたいに。 犬とは、心にぴとりと寄り添ってくれるような存在であり、無償の愛のようなものなのかなと、思い浮かべて。 住んでるところは田舎故に、大阪に比べたら遮るものはなく見上げるものは空くらいで、都会の路地裏や道路下の無機質さに浪漫が詰まっているように感じたのです。 ひとりで読んでいたはずなのに、気付いたら隣に温もりがあるような、そんな優しい短歌たちです。
- 2025年12月24日
ストロベリーナイト誉田哲也かつて読んだ私がミステリーやサスペンス系の作品を好むようになった、きっかけの一冊。 ──警視庁捜査一課の警部補・姫川玲子シリーズ。 竹内結子さんをはじめ、西島秀俊さんや小出恵介さんなどの名だたる俳優陣がドラマや映画に出演していたので、当時ご覧になっていた方はもちろん、タイトルだけでも知っているという方もいるのではないだろうか。 事の始まりは、溜め池近くの植え込みからビニールシートに包まれた男の惨殺死体が発見されたことだった。捜査の中で単独の殺人事件で終わらないことに気づく姫川、謎の言葉「ストロベリーナイト」が意味するもの、辿り着いた先に待つ答えは衝撃的な事実で……。 その答えに至るまで、くせ者揃いの刑事たちとの悪戦苦闘や今なお姫川を苦しめる過去の記憶、そのことで心配がゆえにギクシャクする母との関係性、容疑者側の気持ちが理解できてしまう姫川の心理描写などは、胃に鉛を飲み込んでしまったかと思うほど重く沈む。 そして、警察小説といえば現場の描写があることが特徴的ではないだろうか。 そのグロテスクさは、嫌でも脳裏に光景を鮮明に描かせるほどであり、しかしページの端を摘む指は離せないほど没頭していた思い出がある。耐性がない人に対しては気軽に勧められる作品ではないが、シリーズ第二弾となる「ソウルケイジ」などの泣けてしまう作品もあるため、興味のある方は是非に、という気持ちである。 - 2025年12月21日
読み終わったこの書籍を手にとったとき、私は信じていたのだ。 あたたかいご飯を通じ、これまたあたたかい人間模様が描かれているのだと。 しかし、読み始めて数ページで"誰かの生活の一部を覗いている“ような感覚に陥った。 それほど現実的で、生々しくて、実際の生活の中で経験している部分があるからだ。 そして、高瀬隼子さんは胸に渦巻くもやもやとした気持ちを言葉にすることが上手だなと、率直な感想が生まれた。 そして解説の一穂ミチさんも、恐らく大半の読者の言いたいこと・思ったことを明確に言語化していてくれて、赤べこのごとく頷くばかりだった。 二谷の台詞である「洗わないで放置した鍋の中に濁った水みたいな胸の内」、なんとも不快で触れるのも躊躇ってしまうような気持ちだろうか。 前後の文脈と合わさるとそこまで"う……っ”と、込み上げてくるものはないはずなのだが、終幕に向かうにつれて二谷の食事に対する嫌悪感が露わになっていく様子が強烈だった。 ちなみに、私は食事に対しては二谷よりの考えだ。 お菓子の甘ったるさ、咀嚼、手作りへの信仰にも似たおべっか、決まり文句。 食事で時間を取られるくらいなら本を読み漁りたい、仕事のことを忘れて惰眠を貪りたいし、一粒で一日の栄養素を摂取できるサプリメントがあったならそれで済ませたいほどだ。 体を大切になんてどの口が言うか、負担の皺寄せによって仕事だけで一日を終えてしまうような人間に、細く、繊細で、儚げな芦川はどのような心境で言葉にしたのだろう。 この物語は二谷と押尾の2人の視点で描かれているため、芦川の腹の底が読み取れないことが薄気味悪さを増幅させているように感じた。 諦念、眺望、妬み嫉み、でも完全な憎悪まではいかないから憎みきれない。 でもこのご時世、おおっぴろげに不満を漏らすことも難しいわけで。 味わったことのある感覚を指でなぞられるようで、図星とでもいうか。 誰かが無理できなくて、でもその分ほかの誰かが肩代わりして世界は回る。 じゃあ、肩代わりした誰かの気持ちは何処へ行くんだろう、何処で消化すればいいのだろう。 ……と、ここまで書いて本のタイトルにもう一度目を向ける。 二谷の妹の台詞も相まって、下手な怪談話よりも恐ろしいことが頭をよぎってしまった。 このタイトルは、果たして誰の祈りで、願いなのだろう。 私たちには言葉がある、感性がある、理性がある。 どうか嫌なことや苦手なことがあるならば、言葉にする勇気をもってほしい。 言葉にしても通じない化け物じみた人間が相手ならば、押尾のように環境を変えてほしい。 どの立場の登場人物も何処かで見覚えがあるからこそ、読了後に味わう失敗した料理やお菓子を無理矢理胃に流し込んだときのようなこの不快感を、私はビールの代わりにミルクティーで飲み下している。 - 2025年12月19日
人間失格太宰治かつて読んだ「恥の多い生涯を送って来ました。」 何度読み直してもこの一文はずるいなと、そう思うのです。 字数にしたらたった14文字、それなのに鮮烈に記憶に残していく。 太宰という男性がどういう人間だったのか直接話したかったと思うくらい、その才能が妬ましくて仕方ない。どろりとした私のなかの醜さが溢れてしまいそう。 「人に好かれる事は知っていても、人を愛する能力に於いては欠けているところがあるようでした。」 そうは言ってもどうしたらこんなに湿度高く、色気のある文章を編めるのか。 「斜陽」もそうだが、太宰の紡ぐ言葉は私にとって退廃的で、官能的にも思えてしまう。 人間が壊れていく様をまざまざと見せつけられたとて、その気持ちは変わらないのだ。 どうか私が死ぬときには棺に納めて、一緒に燃やしてほしい作品なのです。 - 2025年12月18日
読み終わった初めての金田一耕助シリーズの読了でした。 映像作品から小説まで存在は知っていましたがなかなか手に取ることはなく、今回「100分間で楽しむ名作小説」の刊行を機に読んでみることに。 ……が。なんでしょう、この言い寄れぬ陰惨さ。 さすがの風間のひと声で気持ちが切り替わることなく、悪魔払いに熱いものをひっかけたとて、その場にいる人物も読者も晴々とすることはないだろう。その豪胆さが人を魅了する風間の良さでもあるのだろうが……。 しかし、視線誘導の素晴らしさと言うのでしょうか、ある程度推理ものを読んでいる人ならば想像するような場面にさらに伏線を張る。全ての伏線を回収した瞬間には私も肌が粟立つほど。 点と点が繋がって線となる瞬間の爽快さは、やはりミステリーものの醍醐味ではないでしょうか。 お繁に思いを馳せど、時代背景的にそうするほかなかったかもな……なんて。 そして、興奮ゆえにまるで噺家の如く言葉を連ねたり、時に体をすくませ人間味のある反応を示したり、謎を解き明かす側というのは常に冷静沈着な印象が強かった私にとって、金田一耕助という人物に随分と惹かれてしまった。 他の小説もぜひ読んでみたいと興味が湧いた一冊でした。
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