本屋lighthouse "文学カウンセリング入門" 2025年12月21日

文学カウンセリング入門
文学カウンセリング入門
キム・ギョンヒ,
チン・ウニョン,
吉川凪
読書を通じて、「したの本のなかに/とどまっていた」何かを読み取るとき、そこには読んでいる人自身の経験や記憶が投影されると詩人は語ります。そして驚くべきことに、何かを読み取った瞬間、読む人の表情は永久に変わってしまいます。作家や作品の本意は永遠にわからなくとも、読書によって何かをつかむと、読んでいる自分の影がどんどん本のページに広がってゆき、その汚れや染みがその人の内面を変形させるのです。(p.45-46) という、詩人リルケの引用から始まった記述を読み丹渡さんの『迂闊〜』を思い出すなどしていたら、その数ページ後にやはりプルーストが登場した。ジョットのフレスコ画『慈愛』には我々が想定するような慈愛がない、と「私」が思うなどする場面が言及されている。医者やカウンセラーはときにぶっきらぼうに、つまり慈愛の精神など見せずに接することが必要なのだというような、そういうくだりの文章を読みながら、必要以上にやさしくされること、あるいは「やさしくすること」を義務として捉えているようなコミュニケーションをとられたときの居心地の悪さを考えたりしていて、そのとき奥の部屋では柿内さんにお任せしている「スロー・ルッキング」のワークショップが開かれていたのだった。 そしてさらに読み進め、 とはいえ、文学カウンセリングにおいて無関心で冷徹な外科医の役割を果たすのはカウンセラーではなく、カウンセラーとクライエントが一緒に読む文学テキストです。(p.53) にぶちあたって、やはり『迂闊〜』は文学カウンセリングを結果的にやり通した1冊なのではないか、というところまで思考はつながった/立ち戻った。 テキスト-クライエントには二つの利点があります。(中略)。第二に、テキスト-クライエントとの相互作用は安心感を提供します。彼は無遠慮で率直な意見にもまったく傷つかないので、現実のクライエントは、テキスト-クライエントが伝える事態について思ったことを自由に表現できます。(p.54) たしかに『迂闊〜』で丹渡さんは読んでいる本や映画、あるいはそれらに対する批評に対して(時に柿内さんに対して)、わたしはそんなことまったく思わんぞ!と書き連ねていた。
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