"不滅" 2025年12月24日

波
@namireads
2025年12月24日
不滅
不滅
ミラン・クンデラ,
菅野昭正
私の熱源クンデラ。ここでいう不滅とはどちらかというとネガティブな意味。誰もが知る偉人たちとその不滅性。物語は要約され、交響曲はCMの為の何小節かに省略される。現代の不滅を彼らは望んだだろうか?神の目は写真機に変わりいたるところにレンズがある。人生は絶対参加の乱痴気パーティーに変わってしまい、この世への執着は古今を絶している。そして、死後も他人の記憶に残り続けたいと欲する人々の自我の重さ、あらゆる暴力、情報という騒音。そのすべてに耐えられない主人公アニェス。どこか少女性を醸す、静かな強さをたたえたこの主人公と、思索的な空気を纏う父親。二人の関係性がよかった。喧騒を避け沈黙する父と、深いところで彼を理解している娘。永久不変の美しさは言葉少なく、ひそやかなるもののなかにあるのだと思わせる。 いつか世界の醜さに耐えられない日が来たなら、一本の勿忘草を目の前にかざす。見ることを拒否したアニェスの"仕草"に、可憐な青い花のイメージが重なって揺れる。 自分のなかに何となく散らばってる、まだ疑問にすらなっていないもの。形の無い問いに対する答えのようでもあり、同時に、いちばん大切なものはなんですか?それは本当にそうですか?という見えない誰かからの問いに、自信がなくなって立ち止まる。私が読書にいちばん求めてるものが詰まってました。「存在の耐えられない軽さ」を読んだときにも感じたこと。物語をまもりたいなら要約などできないように書かなければならないという目論見は成功してるって思うし、こんなに考えることを促しながらもユーモアを忘れないクンデラの文章は読んでて楽しい。 不滅を巡る闘争や愛の永遠性など複数のテーマのなか、とりわけ自我について書かれた内容がおもしろかった。 自分のイメージ。世間に向けて、こう見られたいというイメージを発信することへの欲望は抗いがたい。現代人が恐れるのは自分に対する世間の誤解ではなく、むしろ正解のほうかもしれない。 どんな些細なことでも自分の趣味嗜好または思考を主張あるいは表現するそのとき、何を相手取っているのか。自我という途方もない重荷。自我それ自体は内的な事柄だけどその発露は常に外的要因による。人々の自我の重さに耐えられないアニェスが終盤にたどり着いた思想は真理だと思う。日に日に私の中で比重を増している。(でも書く🙈) 望む望まざるに関係なく、間違いなく不滅となる運命であるクンデラ。100年あるいは200年後、たとえ彼の「不滅」が使い捨てのように扱われたとしても、この物語だけは手の出しようがない。「決して要約などできないように書く」。クンデラの不敵な笑いが目に浮かぶよう。
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