花木コヘレト "バトラー入門" 2025年12月25日

バトラー入門
バトラー入門
藤高和輝
藤高和輝先生を、とある詩人の読書会(東京芸大で今年開催された)で、ゲストでいらっしゃっていたのを、拝見したことがあります。それで、私はフェミニズムに関心を持って、本書を読みました。 多分、私は本書の3割も分かっていないと思いますが、どうやら本書は、藤高先生が大学の先生だからか、学部生を読者の大きな念頭に置いて、書かれているようです。ですから、かなり噛み砕いて、アメリカのフェミニズムの小さな歴史も含めて、バトラーの『ジェンダー・トラブル』について解説されています。会社員の私でも、3日で読み通せたのは、先生が懇切丁寧である、おかげだと思います。 また、本書で先生は、バトラーにとても寄り添っています。先生に言わせれば、本書はファンブックのようなものだそうです。ただ、本書の中で、一番受け取らなければならないな、と私が思ったのは、バトラーの言葉ではなくて、クレンショーの「インターセクショナリティ」という概念でした。 つまり、差別というものは、複数でcrossするものなんだ、という理解です。つまり、簡単にいうと、人は一度差別される立場に身を置くと、その沼から抜け出せなくなるのが、むしろ常態なんだ、ということです。だから、私たちは、他人の人格を尊重するように、常に心がけなければならないのだ、と思いました。 つまり、抑圧の犯人は、一人男性だけとも、決められないようです。もちろん限定的な意味ではありますが、私たちのほとんどが、共犯的な差別主義者として生きている、ということだと思います。国籍や人種、年齢性別などによって、差別が膨大にcross するということは、もはやそういうことでしょう。 だから、これは逆説的に、シス・ヘテロ・男も、「結局、俺は差別主義だからフェミニズムなんか知っても無駄」とは言わないで良い、ということだと思います。ほとんど誰もが差別主義者なのだから、シス・ヘテロ・男(である私)も、むしろ積極的にフェミニズムに関与して良いんだな、と思いました。これが、私が得た、本書の一番の収穫でした。 ただ、大事なことなので、メモ程度ですが、もう一つ付け加えておきたいと思います。 それは、本書で強調されている、ジェンダーと生物学の切り離しです。ジェンダーが不連続であるということは、「倒錯」によるエロティシズムへ直結するように書かれていましたが、正直刺激が強すぎるように、私には思われました。 ジェンダーの不連続性は、現代社会の規範における「倒錯」だと思いますが、それがエロティシズムに直結するのは、もちろん私にも分かります。つまらない例えですが、俗に言う「ギャップ萌え」とパラレルに考えられるからです。 でも、これは私たちが生物学と切り離されてもなお、生と性が不毛ではないという、私たち人間の怪奇な現実に根差した感覚と思います。 もちろんシス・ヘテロ・男女でも、人間はすべからく性的に不毛です。しかし、本書において、またLGBTQにおいては、その性が、不必要なくらいに盛り上がりを見せるように、私には映ります。 もっと落ち着いた性を求めるLGBTQの方々もいるはずだと、私には思われるのですが、フェミニズムの本を読むと、燃え上がる生命や性を感じて、もう少し穏当に話が進むといいのにな、とは私には思われるのでした。 本書が労作であり、サービス精神に溢れた、親切な新書であることは、間違いないと思います。
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