
ジクロロ
@jirowcrew
2025年12月25日
精神の生態学へ(下)
グレゴリー・ベイトソン,
佐藤良明
ちょっと開いた
マップはテリトリーと違うとして、テリトリーとは一体何なのか。マップの作成者は、網膜なり測量器なりを持ってテリトリーに行き、一つの表象 representation すなわち「表し直し」を行い、結果を紙の上に描くわけです。紙に描かれるのは、その人の網膜に表し直された象(すがた)を、ふたたび表し直した象であります。表し直される前の「元のすがた」は、どこまで問いつめていっても手に入りません。無限に遡行していくばかり。限りない地図の連続ができるだけで、現地そのものは得られない。「現地」とは、一種の「ものそれ自体」だということができるでしょう。それと直接的に関わることはできない。つねに表象化のプロセスが間に入って、土地をフィルターにかける。精神の世界は、マップのマップのマップが際限なく続く世界なのです。
(『形式,実体,差異』)
スナフキンが似たようなことを言っている。
(『ムーミン谷のひみつ』)
普段使いの言葉とは、「テリトリー」であり、それはマップのほんの一部を囲い込むために使用される道具。
詩で扱われる言葉は、マップを破り、「現地」から「世界」を掴みにいく。それは決して「世界」を得ることができないとわかりつつ、「世界」になろうと足掻いている。
「生きている言葉」とはそのようなもののことを言うのだろう。
