
本屋lighthouse
@books-lighthouse
2025年12月26日

石器時代の経済学 〈新装版〉
マーシャル・サーリンズ,
Marshall Sahlins,
山内昶
読み終わった
読了。多くの研究者による具体的なエピソードの引用からなる補遺の章がもっとも理解しやすく、楽しく読めた。しかしそれはこれまでの理論的で難解な本編を読み通してきたからこそであり、まさに迂遠の有用性とでも言ってよいものを体感する読書となった。
肝心の「パーティー」に関する記述は、たとえば「C 1・5 ルソン・ネグリート族――大量の食物が分与されている。よい獲物があると、いつでも隣人は、御馳走に招待されて、全部たべつくしてしまうのである(Vanoverbergh, 1925, p.409)」(p.375)といった簡潔な記述のみ発見できたが、本編と補遺で何度も繰り返されている未開社会のシステム、つまり「富める者は気前よく分け与える」「それが名誉=権力の証となる」「ゆえに名誉=権力を欲する者ほど多く分与するため結果として所有財産は少なくなる」「しかし立派な者として認識されるため集団内から贈与を受ける」「そうして得た贈与もまた分配される」といった循環機構のようなものを前提にして読むと、リアリティのあるパーティーとして現前にあらわれてくる。
B 5・3 カチン族――「理論上からいうと、だから、上の階級の者は、下の階級の者から、贈与をうけとっている。しかし、このことから、経済的な利益が恒久的に発生しているわけではない。贈与をうけとったものは、誰でも、与え手にたいし債務者(フカ)の位置にたたされるからである……。それゆえ、逆説的なことだが、高位階級の地位にある個人とは、贈与をうけとる人と定義はされるけども……、彼は、うけとったより以上のものを無償譲渡しなければならないという、社会的強制に始終さらされているわけとなる。さもないと、彼は、しみったれだと思われ、しみったれた人は社会的地位を失いかねなくなるのである」(Leach, 1954, p.163)p.368-369
この権力関係が瑕疵のないものであるとは思わないが、社会において権力関係が避けようもなく生じてしまうのであれば、その権力をいかにズラすか、誤魔化すか、活用するか、ということが必要になり、上記のような在り方はその例として好ましいとは言える。次に読むべきは平凡社ライブラリーの『ヌアー族』かもしれない。


