たまのきゅうか "Θの散歩" 2025年12月26日

Θの散歩
Θの散歩
富田ララフネ
思い出すことの深度。深さ浅さ。 深く下へ潜っていく中の横滑りと、次々に横滑りする中で深みに足を取られること。 記憶の逍遙にもいろいろある。 日々を記録することは思い出すことであり、思い出すという行為は下に下に深く潜ってたまに横滑りするだけでなく、次々と横滑りしてたまに深い穴に足を取られるという動きになることもある。垂直が優位な人もあれば水平が優位な人もいるということである。想起を原理にする小説家というと私は滝口悠生がぱっと浮かぶけれど、滝口悠生は深さがあって、だからこそ横滑りがアクセントになる。『Θの散歩』は深めずに横滑りが自然な形で続くほうが目立ち、だからこそ小さな深さや飛躍がアクセントになる。人間の深みに対してよりささやかで十分に緩衝帯をとったスタンスといったらいいか、それはある意味で距離を取るアプローチでもあって、間違って冷笑的ととられることすらあるかもしれないのだが決してそんなことはなく、滑っていく運動の日常性、表面の温かみ、些細な楽しさの中のわからなさが現れてくる。
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