Θの散歩

4件の記録
茶売る@teteto2026年1月11日読み終わっただらだら読んだが、その期間に自分の子どもに対してたくさんの(きっと彼から見たら)奇行をしていたと思う。 大江健三郎を読み聞かせたり、数年ぶりに寝かしつけだと背中をトントンと叩いてみたり、あなたはこういった記憶があるかとやたら質問してみたり。 彼の1歳の誕生日に仕事復帰したわたしへ、 「永い1年でした。それでよく考えることができたと思います。」
たまのきゅうか@yutomsm2025年12月26日思い出すことの深度。深さ浅さ。 深く下へ潜っていく中の横滑りと、次々に横滑りする中で深みに足を取られること。 記憶の逍遙にもいろいろある。 日々を記録することは思い出すことであり、思い出すという行為は下に下に深く潜ってたまに横滑りするだけでなく、次々と横滑りしてたまに深い穴に足を取られるという動きになることもある。垂直が優位な人もあれば水平が優位な人もいるということである。想起を原理にする小説家というと私は滝口悠生がぱっと浮かぶけれど、滝口悠生は深さがあって、だからこそ横滑りがアクセントになる。『Θの散歩』は深めずに横滑りが自然な形で続くほうが目立ち、だからこそ小さな深さや飛躍がアクセントになる。人間の深みに対してよりささやかで十分に緩衝帯をとったスタンスといったらいいか、それはある意味で距離を取るアプローチでもあって、間違って冷笑的ととられることすらあるかもしれないのだが決してそんなことはなく、滑っていく運動の日常性、表面の温かみ、些細な楽しさの中のわからなさが現れてくる。



