
もそ
@mosomoso_
2025年12月26日
読み終わった
図書館本
タナトフォビアを自称する著者の方と同じく、5歳頃に、ある日とつぜん何の前触れもなく「『この私』はいつか必ず死ぬんだ。死んでしまったらすべてがなくなるんだ」ということに気づいてご飯が喉を通らなくなるくらい絶望したことがあり、それから常々「死にたくない、わたしが死ぬならこの世界まるごと消えてほしい」というとても身勝手な願望を抱いてきました。
長じるにつれて恐れ悩む機会は徐々に少なくなり(こころの摩耗というべきか、この対談のなかで示された「無痛化」がなされたと考えるべきか)ましたが、今も根底には死の恐怖が暗く深い川のごとく横たわっています。
対談の中で、著者は恐怖への救いを求めて各分野の専門家へ多くの問いかけをしますが、明確な解を得るには至っていません。自己をクオリアごと機械に移植する技術が確立され得る可能性に希望を見いだしていますが、果たしてそれが現実になるのか、実現された末にほんとうに救いになるのかは誰にもわからないでしょう。
わたし自身も、解を得ることこそできませんでしたが、多くのヒント、宗教学や哲学の豊かな考え方に触れる機会になりました。
特に、過去を想起するとき、わたしは自分の「脳」のなかではなく「外部(クラウドみたいなものを想像しました)」にアクセスして情報を見ているんだ…という考え方には、思わず面白いと唸ってしまいました。過去の体験、感情、それらがどこかに保存されているんだと考えると、わたしがボケたり忘れちゃったり、それこそ死んでしまっても、「まあいいか、あった過去自体がなくなるわけじゃないんだし」と思える気がします。
