
中根龍一郎
@ryo_nakane
2025年12月26日
英米文学のわからない言葉
金原瑞人
読み終わった
子供のころ「かぎたばこ」がなんのことかわからず、なんとなく、鍵の形のたばこかな、と思っていた。読み進めるうちにどうやら嗅ぐたばこのことらしいということはつかめるのだけど、最初のイメージはなかなか抜けない。いまでもかぎたばこ、という音からは、鍵の形をしたたばこを口にくわえたひげ面のホッツェンプロッツを連想する。
大人は調べることができる。でも児童文学はそういう能力がない子供が読む。だから、なんとなくその子供のなかにあるイメージで、作品世界が定着してしまう。衣装だんすからナルニアに入っていくルーシーのまねをしようとしたけれど、家にあるたんすと名のつくものは引き出しの並んだ和簞笥ばかりだった。ドラえもんのようにたんすの引き出しを開けて中に入るルーシーを想像して、そのせいでナルニアの衣装だんすの〈正しい〉イメージはわかっているはずなのに、和簞笥の引き出しを開けるルーシーやピーターのイメージがそれと二重写しになっていた。
砂色の髪、ブロンズの肌、そのイメージはたぶん原文の読者と日本の読者で食い違う。パイだってビスケットだってプリンだって、おそらくその言葉に結びついた現代日本の私たちのイメージと、小説の世界のイメージは食い違うだろう。そして〈正しい〉イメージを知ったあとも、ある言葉を見た時に、自然と浮かび上がってしまう〈誤った〉イメージは、なおもずっとついてまわるだろう。ハート型の顔のように……だから問題は、よくわからない言葉かあるということよりも、ある種のわかりかたをしてしまう言葉がある、ということのような気がする。
やや脱線的な文脈で、漱石の「薤露行」が紹介されているのが面白かった。漱石研究のなかでどういう読み方をされているかは知らないのだけれど、「薤露行」と「幻影の盾」は、漱石のほかの作品からするとかなり異質な筆致で、「19世紀後半のイギリス絵画っぽい情景」が描写されている。漱石のほかの作品と、あきらかに絵柄がちがう。だから個人的に、違う国の絵というものを、文筆を通じて書き表そうとする、ある種の翻訳……それも、絵画→小説、イギリス→日本という二重の翻訳……が働いているような気がしていた。それが英米文学者の目に留まる(それも、漱石の作品の中で例外的に好感をもてる、という形で目に留まる)というのはとても興味深い。
もうひとつ面白かったのは、なにかと調べ物をする金原瑞人の本棚のラインナップだ(もちろん、本棚では追いつかず図書館に行くこともあるのだけど)。
なんで満州?
そこでまた、ふと気になって本棚のすみにあった『満洲小学唱歌集』を開いてみた。これは「南満洲教育会教科書編輯部」が編輯して謙光社が発行したもので(…〉
(『英米文学のわからない言葉』p.172)
ふつう、本棚のすみにある本ではないと思う。どういう蔵書なんだろう。




