
ばるーん
@ballo____on
2025年12月27日
読み終わった
何故かぐんぐん読まされてしまって、(『世界泥棒』を読書した経験から?)ふと振り返った時、いろいろ取りこぼしてるんだけど、その辿った軌跡がきらきら光っているような、もう思い出せない読者(私)の創造性の発露の跡かもしれない。それは大滝さんの解説にもあるように「『その場で考える』という即興性」を読者の側にも要請され生まれた結果の未知の私かもしれず、これを持ち寄って読書し絶えず交換し変容する身体が私。
作中でなされる(解決のない)議論が「未知数に対して方程式の数が足りていない連立方程式」とする解説に励まされた。この議論について語る(というよりは、この議論を応用する?)には、その場の個別の方程式が必要で、だからみんな物語るし、そこには必然的に「私」と「私'」の問題があって、書き手-読み手にも交換される。未知数を未知数のまま、小説で議論するのがすごいと思ったな〜。
町屋さんの「小説の死後〜」にある「いわば小説の制作途中をひたすら邁進しつづけるような手応えだ。まるでいままさに書かれている文章みたいに読者が読むそれ。」がまさにで、近道読みたい。
世界を作り出す言葉、文法こそが小説の内容と改行のなさ(書き方)を選択させているとして、小説の最後があんな感じで終わるの、長さもあいまって感動しちゃうな。