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@teihakutou
2025年3月5日

イラク水滸伝
高野秀行
読んでる
第2章まで読んだ。期限が来たのでいったん返却。
P.13
そこで、いつもの私のスタイルに戻って言語学習から入ることにした。それもアラビア語の標準語ではなくイラク方言。現地で使用されていることばの方が通じやすいし、親しみをもたれやすいだろうという判断だ。
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この感じ、自分の経験が懐かしく思い出される…
↓(コメントに引用つづける)


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@teihakutou
P.51
庶民と街角でお茶を飲むというごく普通の行為ができたのは、バグダード滞在最終日であった。「もう最後だから見られてもいいだろう」とハイダル君が近所の市場と、そこに隣接した次男ヌダーム兄さんの店に連れて行ってくれたのだ。先日強盗にあったヌダーム兄さんは、昼間は高校の先生、夕方からは乳幼児用品を売る店を経営している。店先でお茶を飲みながら、拙いイラク方言でお兄さんや近所の人と談笑したひとときは素晴らしかった。そこにこそ、「生活」があった。
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現地の話し言葉を覚えて滞在することの醍醐味がここにある。危険を回避するために鶴のように身を隠さなければならなかった滞在なら、なおさら嬉しい時間だっただろうなあ。

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@teihakutou
P.115
私が直接知っている人で、唯一東部湿地帯を見知っているのは池袋のファイサルさんだ。ただ、それは特殊な状況だった。小学生のとき、学校の先生に連れられ、百人以上の子供たちがバスに乗って、イラン・イラク戦争の前線に連れて行かれたのだという。
「子供は強くならなきゃいけないから、戦争を見て、覚えなさいって大人に言われた」という。行った場所はアマーラの近くの国境地帯で、カサブの森を開拓した土地に戦車が何台も止まり、部隊が駐屯していた。予定では二週間ぐらいそこで過ごして戦争を見学するはずだったが、前線に子供が百人以上来たので現場の部隊が困ってしまった。危険なのはもちろん、寝泊まりする場所や食料もない。しかたなくバスの中で一晩すごしただけで、翌日はバグダードに帰ったという。フセイン政権時代の無軌道ぶりがよくわかるエピソードだ。
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「戦争を見学」、すごい話だ……