柿内正午 "労働者" 2025年3月9日

労働者
労働者
海大汎
“有史以来、労働する人間をいかに包摂し組織し管理するかは、奴隷制(主人-奴隷)や封建制(領王-農奴)、専制国家(君主・官僚-臣民)などを問わず、いわゆる支配階級の存続・繁栄に直結する問題であった。そこで、労働する人間は、圧倒的な力の優位への屈服を余儀なくされる。しかし、資本主義社会ではそうはいかない。その労働・生産過程は、政治的論理にではなく、経済的論理によって再編されるからである。そうなると、今度は労働する人間に対する包摂・組織・管理などのいわば経営活動は、人格的強制性によってではなく、非人格的合理性によってなされることになる。労働する人間が人格的隷属から解放されえたのは、そのためである。 これは一見、労働自体が政治(外的強制)の問題から経済(合理的選択)の問題に一変したかのような錯覚を引き起こす。だが、それは、マルクスが的確に指摘しているように、「個々の雇い主が絶えず替わることによって、また契約という擬制によって、維持される」、「賃金労働者の独立という外観」にすぎない。資本主義社会においては、労働する人間に対する包摂方式は決してそれ以前の社会体制のそれとは相容れないが、包摂された存在が多かれ少なかれ包摂する存在の存続・繁栄に奉仕し、またその限りにおいてそれ自身(やその家族)のライフを保障されるという側面——いわば生の他律性——では、それ以前の社会体制とさほど変わりはないといわざるをえない。” p.119-120
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