みーる "世界99 下" 2025年10月1日

みーる
@Lt0616pv
2025年10月1日
世界99 下
世界99 下
村田沙耶香
上巻、下巻の長編だったが、上巻と下巻でここまで印象が違うとは。上巻は空子のパーソナルな部分に焦点を当て、性格のない空子が「呼応」 と「トレース」をしながらいくつもの世界に順応する物語。一方、下巻は「リセット」を経て、綺麗になった世界が舞台。空子本人の影は消えてしまいそうなくらい薄い。そのため、上巻のような空子がこれからどうなるのか、どう驚かせてくれるのかというエンタメ性を期待すればそれは空振りに終わる気もする。特に大きな展開はないし「リセット」後の人生をリアルに淡々と進んでいく。故に、この作品のテーマだと思う「人間とはなにか」について深く描かれているように思う。 「性格がない」如月空子を主人公としたことで、作品世界に自然と馴染めた気がする。厳密に言うと「性格がない」というより、「安全で楽がしたい」という人間の根源的な欲求を満たす行為をする。それが「呼応」と「トレース」。相手に合わせ「安全で楽につながる行動」をとる。 言葉にすると冷たい人だと感じるが、世の中の当たり前のようにみんな空子だと思う。 物語冒頭で、「ピョコルン死なないかな」と思う場面。普通ならそんなこと考えてはいけないとブレーキをかけ、誰にもそう思っていることを悟られずに自分を世の中の当たり前にチューニングする。でも、潜在的な意識の中に「死なないかな」と思ってしまう瞬間も確かにある。空子はそのことすら俯瞰をしている。そんな空子を主人公に据えることで読者は「隠している自分」を暴かれていくような気持ちになるのではないか。でも、物語終盤、空子が「安全で楽」という欲求以外に、空子本人でも気づいていないような優しさや思いやりがあったような気がする。主に白藤さんに対して。 白藤遥は空子とは真逆の人物として描かれる。 自分が信じる「正しさ」を軸として行動する。 そんな白藤さんがかっこよく自分もそうなりたいと思う一方で、「正しさ」の奴隷にも感じる。 こういう「正しさ」を振りかざす暴力的な人、いるよなぁ…と。上巻では様々な世界があった。世界3は白藤さん白藤さんでいられる世界だった。世界1や世界2との比較の中で、世界3という世界が生まれる。その差異があったからこそ白藤さんは白藤さんでいることができた。 「リセット」により、世界が画一化され、「クリーンな人」で溢れた世界において、白藤さんは順応できなかった。下巻では白藤さんが疲れ切っている様子が多く描写されていた。疲れ切るということそれは白藤さんが「正しさ」捨てなかったことの裏返しでもあると思う。順応してしまえば楽なのにと何度も思った。「人は変われない」という残酷だがきっと本質なのだろうということを白藤さんが表現していたような気がする。物語終盤でも活字を求める白藤さんがいた。最後の最後、「兄を殺して欲しい」と「呼応」をしようとした白藤さんは相当な無理をしていた。それを空子は感情的にもならずに分析している。やっぱり、白藤さんは自分の「正しさ」から抜け出せなかったのだ。それが貫いたことになるのか縋りついたことになるのかはわからない。本作で、1番印象的なキャラクターが白藤遥である。 人間の性欲や負の感情を一身に受け続けたピョコルン。その正体はラロロリン人の死体をリサイクルしたもの。上巻ではラロロリン人は差別の対象として迫害を受ける。下巻では、ピョコルンになることを条件に国民から「恵まれた人」と崇められる。条件がなければその存在を認めてもらえないラロロリン人はやはり作品を通して差別されている。なにか差別したり攻撃したりする対象がないと自分の存在を確認できないのも人間の本質。差別なんてしていませんよという顔で。世界が作った常識から外れたものを奇異の目で見るが口には出さない世界。みんな何かを攻撃することで自分を保ってる。 上巻では性被害で傷ついた女性たちや男が女を見下すことから生まれる様々な暴力が描かれる。古めかしいほど男>女の構図だが、現代でも心の奥底では男は女を見下し、利用し、自らの存在価値を上げるものという価値観が刷り込まれているのだろう。様々なところで。それが顕在化して強く描かれているのが上巻の明人や匠だ。彼らには傷つけている自覚がない。それが普通だから。明人や匠のような要素が自分にはないよな?と自問自答するが、ないとは言い切れないのが怖い。上巻の男性陣の描き方も「隠している自分」を暴いてくれる。 下巻ではピョコルンが女性の苦しみを全て背負ってくれる。明人はピョコルンにはなり背負う側になった。「汚い感情」はピョコルンが引き取ってくれるから「クリーンな人間」でいることが大切になる。一見、見栄えはいいが空子は言い切れない気持ち悪さを感じ、白藤さんはその世界に順応できなかった。しかし、次世代の波と琴花はその世界しか知らない。「汚い感情」を知らない。痴漢されても勘違いだった、自分が悪いと済ませてしまう。おまけに「怒る」感情表現ができない。感情の一部を知らない人間に僕たちからはみえる。生まれたときからそれがあるのかはやはり大きな違いだと思う。物語最後の雨の子供であるシュンが、白藤さんのことを「見たことがない『表情』をするから怖い」 と言っていた。感情や表現までもピョコルンが吸収してしまったんだな。ピョコルンは救いでもあるが悪魔でもある。負の感情や表情を奪ってしまった。クリーンな街、クリーンな感情。人間の持つ機微が画一化された世界。きっとスムーズに世の中は周るのだろう。だけど少しの寂しさを感じるのはなぜだろう。 アダムとイブ、神話から生まれた、男と女。出産、繁殖の疑いようのないサイクル。そのサイクルの中で苦しい思いをした女性を救済した世界。今とどちらが幸せなのだろうか。 レナが自殺したときの空子のセリフ 「心はとっくに死んでいて体がそれに合わせただけ」 空子がピョコルンになるために身辺整理をしているときに感じたこと。 「死にたくて死のうとしている人よりそれが最後の生きる手段だから死を選ぶ。死を止めることは最後の生きる道を遮断すること。」 空子をピョコルンにする医者 「かわいそうなことは、すばらしいですよね。 娯楽になるから」 「かわいそうな人を見て泣くと心が浄化される」 ディストピア小説なんかじゃなくこれは未来の人間社会の形。「隠している自分」が容赦なく暴かれる。「読む前には戻れない」の謳い文句に心から共感する。人間は恐ろしい。ギリギリのバランスで世の中を保っている。何か一つでも前提条件(本作だとピョコルンの出産、性的対象) が崩れれば一気に世の中は変わる。ラロロリン人がそうであったように。そんな人間の恐ろしさと本質を見せつけられるような傑作小説であった。
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