みーる
@Lt0616pv
2025年10月14日
イン・ザ・メガチャーチ
朝井リョウ
買った
読み終わった
「熱量の低い百万人よりも熱量の高い一万人を生み出すこと」人の視野を狭めて狂信的にさせるためには「物語」が必要。
エンタメ小説としてではなくどうすれば人を動かせるのかを説いたハウツー本のようだった。「視野」という言葉がよく出てきた。「視野」を狭めて自他の境界線を曖昧にする狂信的な「推し活」。「我を忘れて生きるには人生は長すぎる」「何かに中毒な方が楽」国見の言葉は本質を突いている。
自分も阪神やボードレースやポケポケ。なにか夢中になれるものを常に探している。本や映画やドラマもそう。その方が楽だから。
結局、自分は何者かを明らかにするために何か信じられるものが欲しいのかな。朝井リョウさんは「何者でもない自分」「何者かになりたい自分」を巧みに描く。
途中、久保田が垣花に友達心を寄せるシーン。確かに、訳もなく男同士で会ったりすることってほとんどない。だからこそ、久保田は垣花に対して視野が狭くなってしまったんだな。その気持ち本当にわかる。
「推し活」がテーマではなく、信じることで「視野」が狭くなる人間の本質的な部分をさまざまな立場から描いていた。「視野」を極限まで狭くすることで救われる人もいる。
逆に、広くしすぎて迷ってしまう人もいる。僕は後者だと思う。最近だと合唱コンにも心で熱中できない。学校の先生なら当たり前に熱量が高いことに対して高くなれない。「視野」が広すぎるのだ。「視野」を狭くしたいが、その分事象に対して自分を近づけなければならない。結局は自分を曝け出すのが怖いのだ。不安なのだ。そんな自分を変えたいと思う時もある。けど、そんな教師がいてもいいのでは、とも思う。常に揺らぎながら生きている。
隅川さんは「視野」を広げすぎた結果、最も「視野」が狭くなった存在として描かれる。危険な方に流れた。自分はそうなる可能性はないと言い切れるだろうか。「視野」という考え方を手に入れたのは大きい。結局は「視野」のズレが争いを生み出すのだ。どうしても「視野」狭い人のことを小馬鹿にしてしまう。でも、自分も「視野」が狭くなる時もある。大谷ファンを見て小馬鹿にすると同時にそこまで「視野」を狭くできることに羨ましさを感じることもある。
澄香のように「あるべき理想」に囚われて自分らしさが出せないのも共感できる。大人数では自分らしさが出せなくなるのもわかる。「視野」が広すぎて色々と考えてしまうのだ。でも同じものが好きな人同士のコミュニティが居心地がよい。「視野」が同じだから。
これからは「視野」を意識して物事を見たり考えたり関わったりしてみよう。久保田、隅川、澄香の3人の「視野」の揺れ動きが巧みに表現された傑作小説であった。