
装丁フェチ
@yr_k_
2025年12月31日
暇と退屈の倫理学
國分功一郎
読み終わった
〜滑り込み年内読了〜
書き留めておきたいことが多すぎて逆に何を書いたらいいかわからない!
前半は苦戦しながら読んで、積んでを繰り返すうちに半年以上経ってて、、今月に入ってようやく再開した
特に最終章は付箋がいっぱい
5章 暇と退屈の哲学もすきだったな
資格取得に没頭する人、仕事を必死にやる人、何かをやると決断すればあとは考えることなく目標に向かって走るだけでいい
決断は苦しさから逃避させてくれる、従うことは心地よく、こんなに楽なことはない
って皮肉だよね〜
「なんとなく退屈だ」という声で空虚に放置され、あらゆる可能性を拒絶されていると、人は自らが有する可能性に目を向けざるを得なくなる
でも決断すれば!心地よい奴隷状態になれる
なぜなら、自分と向き合い苦しんでる余裕がなくなるから。
「大義のために死ぬことを望む過激派や狂信者たちを、私たちはおそろしいと思うと同時にうらやましくも思っている。(スロヴェニア哲学者の言葉)(中略)過激派や狂信者たちは『なんとなく退屈だ』の声から自由であるように見えるからだ。」 p371
👆🏻これ、朝井リョウ『イン・ザ・メガチャーチ』での、視野を狭めて物語に没入し自分を使い切りたい人々と、通ずるところがある気がする
人間であるとは、退屈と気晴らしとが独特の仕方で絡み合ったものを生きること
退屈と向き合うことを余儀なくされた人類は文化や文明、芸術、衣食住で生を飾り心を豊かにしてきたんだって
わたしの退屈耐性が強いのは、生活することそのものが好きだからかもしれない
あと、
絶えず新しいもので溢れた世界で、人はいちいち考えて対応しないで済むように習慣を創造するとあったけれど、
良くも悪くも平均より多くの物事が目に入ってくるから、受け取り〜処理〜習慣化〜退屈に至るまでの時間が長いんだろうか
だからどこにいても何をしててもそれほど退屈してない気がする、まあだいぶ疲れるという面もあるガガガ
楽しむことは思考することにつながる。人は楽しみを知っている時、思考に対して開かれている。
楽しみを受け取り、思考を強制するものを受け取る余裕は、決断して奴隷状態に陥った人々にはない。
4章の浪費と消費にまつわる部分、かなり印象的だった
消費者が受け取ってるのは、物ではなく、物に付与された観念や意味だから、消費には限界がなく延々と繰り返され、むしろ贅沢を遠ざけ、満足はもたらされない
浪費は、必要を超えて物を受け取ることだから、どこかで限界に達するし満足をもたらす。そしてこれが贅沢の条件である
本筋から少し外れるけど、ノヴァーリスによる哲学の定義すきだな〜
「哲学とはほんらい郷愁である。さまざまな場所にいながらも、家にいるようにいたい、そう願う気持ちが哲学なのだ」 p230
「人間は生き延びていく中で、記憶し続ける。つまり傷を負い続ける。だが、その中には、自分だけでは意味を付与できない、つまり消化できない記憶がある。(中略)ほとんどの人は、自分一人では消化できない記憶を抱え、その作業を手伝ってくれる人を求めている。ならば、人間は、その本性ではなく、その運命に基づいて、他者を求めることになろう。」p501-2(増補新版付録より)
傷を負うことがなければ誰かと一緒にいたいと願うこともないのかな
付録ではあるけど、論理的に綺麗に丁寧に書かれた本の締め括りがこれなのアツすぎます


