
咲
@lunar_mare
1900年1月1日

恩田陸
物語だ。謎に「日常」を侵食されるのが、震えるほど面白い。知る人ぞ知る「三月は深き紅の淵を」という私家本。噂ばかりが囁かれて人々の興味を煽り、存在そのものにたくさんの物語が加わって、知らぬ間に成長していく謎めいた本。第一部「黒と茶の幻想」第二部「冬の湖」第三部「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」第四部「鳩笛」ずるずると引きずり込まれてしまう小説。ああ、読みたい。そんな、現実が曖昧になるような、甘美な読書に没頭したい。たかが一個人の表現手段に使われるほど、物語は小さくない。物語は物語自身のために存在する。
この小説は箱物。千一夜物語みたいに、物語の中に物語が入れ子になって、中に中に沈んでいくと思いきやいつの間にか裏返って、現実世界を物語が食ってしまう。本書の最後、第四章「回転木馬」。書き手が今まさに小説を書き始める場面で、書き出しの文句をあれやこれやと試行する。その本の名前は「三月は深き紅の淵を」。第一章は「黒と茶の幻想」。書き出しはこんな風に始まる。「森は生きている、というのは嘘だ。いや、嘘というよりも、正しくない、と言うべきだろう。」。最後の行まで読み終え、物語に酔ったまま、書店の恩田陸の棚に足を運ぶ。ずらりと並んた文庫の中に「黒と茶の幻想(上)(下)」の背表紙が目に留まる。おいおい待ってくれよ、と、予感に震えながら手にとる。その本の第一章の書き出しは、「森は生きている、というのは嘘だ。いや、嘘というよりも、正しくない、と言うべきだろう。」。嗚呼。これは。
物語が終わっても、物語から抜け出せない。これだから読書は、もう、たまらなく面白いんだ。物語を続けよう。