"責任の生成" 1900年1月1日

咲
@mare_fecunditatis
1900年1月1日
責任の生成
責任の生成
國分功一郎,
熊谷晋一郎
「私が全部悪かったんです。全て私の責任です。本当に、申し訳ございませんでした」 典型的な謝罪文。それは、とても閉じている。 自身の過ちを自身から切断し、他者との会話や関係修復の関わりも切断し、自己完結の形で思考停止している。 「責任を取れ」という被害側の要求はもっともだ。 その正しく強い真っ当な要求は、だがしかし、加害者を責任から遠ざける。 一度、加害行為を外在化し、自然現象のように捉える、すなわち免責すると、現象のメカニズムが次第に解明され、自分のしたことの責任を引き受けられるようになってくる。 免責による引責。 「誰もが大なり小なり傷ついた記憶を持っている。そんなわれわれ人間にとって、何もすることがなくて退屈なときが危険なのではないか。そんなときに限って、過去のトラウマ的記憶の蓋が開いてしまう。だから私たちは、その記憶を切断する、つまり記憶の蓋をもう一回閉めるために「気晴らし」をするのではないだろうか」 「過去のトラウマ的な記憶を消すためには、今ここで新たにトラウマになるような傷を自分が自分に与えるのか一番だ」 「過去を眺めることなく、未来だけを見つめて、「未来を自分の手で作るぞ」というのが意志だ。それは過去を自分から切り離そうとすることで、そうしている限り、人はものを考えることから最も遠いところにいる」 罪を償うということは、自分の過去と丁寧に向き合うことなしには成立し得ない。
読書のSNS&記録アプリ
hero-image
詳しく見る
©fuzkue 2025, All rights reserved