責任の生成

15件の記録
- pamo@pamo2025年3月17日かつて読んだ心に残る一節引用:いわゆる「非行少年」に、「なぜ薬物を使ったのか?」と聞くと、「暇だったから」と答えることがあるそうです。そうすると多くの大人はどうしても「暇だから薬物をやるなんて!」「とんでもない。けしからん‼︎」と思ってしまう。でも、大人はしばしば、少年が使う言葉の意味を取り違えます。上岡さんは、「非行少年」は単に悪ぶってそう言うのではなく、「暇」という言葉で、地獄のような苦しみを表現しているのだと。そしてそこから救われようと、いわば祈りの行為として非行に走ったのだ、と言われていました。 いっぽう國分さんは、『暇と退屈の倫理学』のなかでパスカルを引きつつ、退屈は、人間の苦しみのなかでも最も苦しい苦悩だと書かれていました。「退屈」なんてたいしたことではないと思われているが、それがしのげるのであれば、じつは人間はどんなことでもやるんだと。(p.124)
- pamo@pamo2025年3月17日かつて読んだ心に残る一節引用:古い体質の組織には、尋問の言語ですぐ個人に責任を押しつけるところがある。ところが、それとはまったく逆の「高信頼性組織研究」というのがあるのです。私はこれは自助グループにも応用できるのではないかと思っています。この「高信頼性組織」とは何か。例えば、救急医療の現場とか、航空機関連の会社とか、失敗が許されない組織のことです。彼らは本気で、組織としての失敗をゼロにするためにどうしたらいいかを探究している。その結果出てきたのが、「ジャスト・カルチャー」です。要するに、失敗を許容する、犯人探しをしない文化です。誰が悪かったのか、ということで、その人個人を罰しないという。 ただしその代わりに自分が経験したことはすべて包み隠さず話さなくてはなりません。そして、組織全体の問題として全員が受け止め、考え、応答する責任は課せられます。隠さず話すことは、失敗も含めて賞賛され、組織にとっての貴重な学習資源として受け止められる。罰すると、人は隠す。それでは、組織は失敗から学べない。だからひたすら、今日こんな失敗をしました、あんな失敗をしました、とネガティヴなことも話す、そうすると褒められる。それが「ジャスト・カルチャー」です。とても面白い逆説ですね。本気で失敗を減らしたければ、失敗を許さなければいけない。(p.413)