
kubomi
@kubomi
2026年1月3日

読み終わった
📝読書して得る知識にはノイズ――偶然性が含まれる。教養と呼ばれる古典的な知識や、小説のようなフィクションには、読者が予想していなかった展開や知識が登場する。文脈や説明のなかで、読者が予期しなかった偶然出会う情報を、私たちは知識と呼ぶ。
📝大切なのは、他者の文脈をシャットアウトしないことだ。仕事のノイズになるような知識を、あえて受け入れる。仕事以外の文脈を思い出すこと。そのノイズを、受け入れること。それこそが、私たちが働きながら本を読む一歩なのではないだろうか。
📝本のなかには、私たちが欲望していることを知らない知が存在している。知は常に未知であり、私たちは「何を知りたいのか」を知らない。何を読みたいのか、私たちは分かっていない。何を欲望しているのか、私たちは分かっていないのだ。だからこそ本を読むと、他者の文脈に触れることができる。自分から遠く離れた文脈に触れること――それが読書なのである。
📝私たちは、そろそろ「半身」の働き方を当然とすべきではないか。いや、働き方だけではない。さまざまな分野において、「半身」を取り入れるべきだ。「全身」に傾くのは容易だ。しかし「全身」に傾いている人は、他者にもどこかで「全身」を求めたくなってしまう。「全身」社会に戻るのは楽かもしれない。しかし持続可能ではない。そこに待ち受けるのは、社会の複雑さに耐えられない疲労した身体である。「半身」とは、さまざまな文脈に身をゆだねることである。読書が他者の文脈を取り入れることだとすれば、「半身」は読書を続けるコツそのものである。
