4分33秒 "勉強の哲学 来たるべきバカの..." 2026年1月7日

4分33秒
4分33秒
@433
2026年1月7日
勉強の哲学 来たるべきバカのために 増補版
環境が自分に与える影響がなくなったとき、その解決策として自分に新しい環境を用意する。そこでは新しい概念を獲得できる。本書は、そうした話だと思う。 逆に言えば、限界を迎えた場にとどまり続ける状態を、「バカ」と呼んでいるのだとも読める。 学びの本というとモチベーションや好奇心の話が出てくることが多いのだけど、この本はそういうことはあまり書かれておらず、勉強の過程で自分に起こる変化が書かれている。そう、キモくなる。 それまでみんなでワイワイやれてたバカが出来なくなりノリが悪くなり、周りから浮いてしまう。 じゃあ勉強した結果どうなるのか。「来たるべきバカ」になる。 自己破壊としての勉強を行うのは「自由になる」ためだとこの本には書いてある。 私はこの「自由」を不自由さ(同時に居心地よくバカできる場所)の狭間で生じる気持ち悪さと理解した。 たとえば私の場合、筋トレが当てはまる。これから運動を始めようとしている友人に、あれこれ語ってしまったとき、自分でも「あ、いまキモいな」と感じた。「適当に体を動かせばいい」という雑な理解の中にいれば、私はきっとキモくならずにいられた。けれどそのキモさは、世界の見え方が変わり、もう以前の理解には戻れなくなった証でもある。同時に、トレーニング論を熱く語る自分のキモさを外から眺められること、それ自体がその世界に完全に囚われていない証ではないか。 本書では勉強は『一時的に』キモくさせるとあるが、自由であり続けるなら、その一時性を何度も引き受けることになる。自由とは、達成ではなく実践なのだと思う。 ただ、一点だけ引っかかったこともある。 本当に環境には限界はあるのだろうか。言葉になり得ないものはどうしたらいいのだろうか。言葉は世界を形作るけど、言葉だけでその世界を理解することはできないとも思う。そう考えると、この学び方は少し寂しいものにも感じられた。 それは、私自身が長く今の環境で「バカ」を続けているせいなのかもしれない。
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