kubomi "読書からはじまる" 2026年1月5日

kubomi
kubomi
@kubomi
2026年1月5日
読書からはじまる
📝本は読まなくてもいいのです。しかし、自分にとって本を読みたくなるような生活を、自分からたくらんでゆくことが、これからは一人一人にとってたいへん重要になってくるだろうと考えるのです。 📝わたしたちは日本という国に生まれたと思っていますが、そうではなく、日本語という言葉のなかに生まれたのです。肝心なのは、どの国の人かということより、一人一人がどういう言葉のなかに生まれ、どういう言葉によって育てられて、育ってきたかです。 📝言葉のゆたかさというのは、たくさんの言いまわしをあれこれ揃えることではありません。美辞麗句は言葉のゆたかさを意味しないのです。そうでなく、むしろ限られた言葉にどれだけ自分をゆたかに込められるかが、言葉にとっては重要なのです。言葉のゆたかさとは、どういう自分であるかを語ることができる、みなおなじなかでおたがいがどういう人間であるか、おたがいにどういうふうに違っているかをすすんで語ることができる、そういうゆたかさにほかなりません。日常に普通にある言葉を、どのように使うか。言葉は、それがすべてだからです。 📝「……のように美しい」というそれだけのごく短い表現一つを考えてみても、すごく簡単なのに、「……」に何を入れるか、どんな言葉をそこに使うかで、一人一人の自分、一人一人の経験が、その言葉のなかにそっくり出てきます。それが言葉です。自分が選びとった言葉のなかに、じつは選びとられるのが自分なのです。何を美しいと思うかというそれだけのことでも、その人をもっともよく語りうるというのが、言葉です。 📝限りなく存在を薄切りにしてゆくのが情報だとすれば、可能なかぎり存在を厚くするのは記憶です。共通の大切な記憶をはぐくむのは、だれもが知っているような世のおおきな出来事というより、むしろきわめてさりげない日々の光景です。 📝言葉を覚えるというのは、この世で自分は一人ではないと知るということです。言葉というのはつながりだからです。言葉をつかうというのは、他者とのつながりをみずからすすんで認めるということであり、言葉を自分のものにしてゆくというのは、言葉のつくりだす他者とのつながりのなかに、自分の位置を確かめてゆくということです。 📝どんなに環境が変化しても、どんなに技術革新がすすんでも、はっきり言って、自分を確かにしてゆく言葉を見つける手立ては、あいかわらず自分という得体の知れないものしか、手がかりがないのです。ですから、得体の知れないものを、得体が知れないからといって粗末にすれば、自分というものがどんどん貧しくなっていってしまう。 📝言葉で言えない、かたちはとりにくいけれども、はっきりそこにあると感じられる問題というものを、一つずつ自分の心のなかに発見してゆくということが、ひとが成長すること、歳をとるということだろうというふうに、わたしは思っています。
読書のSNS&記録アプリ
hero-image
詳しく見る
©fuzkue 2025, All rights reserved