読書からはじまる
50件の記録
にゃめたま@seiji_s2026年2月2日読み終わった「いい時間」があるような本は、まさにこの本だと思う。失いたくない言葉が多すぎるので何個か抜粋 "言葉を覚えるというのは、この世で自分は一人ではないと知るということです。言葉というのはつながりだからです。 言葉をつかうというのは、他者とのつながりをみずからすすんで認めるということであり、言葉を自分のものにしてゆくというのは、言葉のつくりだす他者とのつながりのなかに、自分の位置を確かめてゆくということです。 人は何でできているか。人は言葉でできている、そういう存在なのだと思うのです。 言葉は、人の道具ではなく、人の素材なのだということです。" "なにより考えたいことは、二一世紀という時代になっても、「初めに言があった」というこの世のあり方というのは、じつは何一つ変わっていないということです。人間は言葉のなかに生まれて、言葉のなかに育つのであり、そうして、言葉のゆたかさを手に入れた人だけが幸いな人であるだろうという事情は、何一つ変わっていない。 ただ、わたしたちがそのことに知らんふりをしているだけです。" "すべて読書からはじまる。本を読むことが、読書なのではありません。自分の心のなかに失いたくない言葉の蓄え場所をつくりだすのが、読書です。"

記憶@dasilva2026年1月17日読んでる〈3 言葉を結ぶもの〉が心にしみる。 言語化という言葉に手垢が付きすぎて、辟易するような感じがしてるところに良い本が巡ってきたかも。(出版は2021年)

記憶@dasilva2026年1月16日読んでる心に残る一節「本の文化を成り立たせてきたのは、じつは、この忘れるちからです。忘れられない本というものはありません。読んだら忘れてしまえるというのが、本のもっているもっとも優れたちからです。… 忘れるがゆえにもう一回読むことができる。そのように再読できるというのが、本の持っているちからです。」 p.11



kubomi@kubomi2026年1月5日読み終わった📝本は読まなくてもいいのです。しかし、自分にとって本を読みたくなるような生活を、自分からたくらんでゆくことが、これからは一人一人にとってたいへん重要になってくるだろうと考えるのです。 📝わたしたちは日本という国に生まれたと思っていますが、そうではなく、日本語という言葉のなかに生まれたのです。肝心なのは、どの国の人かということより、一人一人がどういう言葉のなかに生まれ、どういう言葉によって育てられて、育ってきたかです。 📝言葉のゆたかさというのは、たくさんの言いまわしをあれこれ揃えることではありません。美辞麗句は言葉のゆたかさを意味しないのです。そうでなく、むしろ限られた言葉にどれだけ自分をゆたかに込められるかが、言葉にとっては重要なのです。言葉のゆたかさとは、どういう自分であるかを語ることができる、みなおなじなかでおたがいがどういう人間であるか、おたがいにどういうふうに違っているかをすすんで語ることができる、そういうゆたかさにほかなりません。日常に普通にある言葉を、どのように使うか。言葉は、それがすべてだからです。 📝「……のように美しい」というそれだけのごく短い表現一つを考えてみても、すごく簡単なのに、「……」に何を入れるか、どんな言葉をそこに使うかで、一人一人の自分、一人一人の経験が、その言葉のなかにそっくり出てきます。それが言葉です。自分が選びとった言葉のなかに、じつは選びとられるのが自分なのです。何を美しいと思うかというそれだけのことでも、その人をもっともよく語りうるというのが、言葉です。 📝限りなく存在を薄切りにしてゆくのが情報だとすれば、可能なかぎり存在を厚くするのは記憶です。共通の大切な記憶をはぐくむのは、だれもが知っているような世のおおきな出来事というより、むしろきわめてさりげない日々の光景です。 📝言葉を覚えるというのは、この世で自分は一人ではないと知るということです。言葉というのはつながりだからです。言葉をつかうというのは、他者とのつながりをみずからすすんで認めるということであり、言葉を自分のものにしてゆくというのは、言葉のつくりだす他者とのつながりのなかに、自分の位置を確かめてゆくということです。 📝どんなに環境が変化しても、どんなに技術革新がすすんでも、はっきり言って、自分を確かにしてゆく言葉を見つける手立ては、あいかわらず自分という得体の知れないものしか、手がかりがないのです。ですから、得体の知れないものを、得体が知れないからといって粗末にすれば、自分というものがどんどん貧しくなっていってしまう。 📝言葉で言えない、かたちはとりにくいけれども、はっきりそこにあると感じられる問題というものを、一つずつ自分の心のなかに発見してゆくということが、ひとが成長すること、歳をとるということだろうというふうに、わたしは思っています。























































