kubomi "人は2000連休を与えられる..." 2026年1月7日

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@kubomi
2026年1月7日
人は2000連休を与えられるとどうなるのか?
2000連休の間にも居候先があり、少なくとも毎月暮らしていけるだけの収入があり、話し相手も猫もいる生活ならずっとこのままでもいいくらい贅沢ではと思ったけど、著者の自問自答(というかもはや壮大な人体実験)の過程はかなり面白く、スルスル読んでしまった。 逆に言えば、同居人も収入もなければここまでの境地に辿り着けないだろうと思ったし、肉体的にも精神的にもこんな環境に身を置ける人間は限られている。ちょっと羨ましいような気もした。 📝最低限の余裕があるときは汗をかくほど運動してみて、その悩みが生き残れるかどうかテストしてみることにした。悩みの強度を確かめる。苦悩を耐久テストにかけてみる。汗だくになり、身体の存在感を強めることで、もやもやした悩みと解決すべき課題を切り分ける。 📝読むことは食べることに似ている。言葉は食べもののように問答無用で体内に入ってきてしまうし、変なものを食べて腹を壊すように、変な言葉を読んで心を壊すこともあるのだろう。 📝食べる言葉の量を減らすと、自然と頭の中を流れる言葉の量も減る。思考と呼ばれるものの大半は、じつは食べたものの消化で、食べる言葉の量を減らすと思考の量も減るらしい。 📝日常的に浮かんでくる感情を表に出すことを抑制していると、それに比例して、「本当の気持ち」の価値が上昇するのだと気づいた。これは情念の圧迫感を「本当」と解釈しているだけで、書き出してしまうと「本当の気持ち」とも感じなくなる。どちらかと言えば「あるときに自分が感じた気持ち」でしかなく、「本当」と表現するのはおかしいと考えはじめる。口に出せなかった感情を、ただ口に出せなかったという事実ゆえに「真実」と解釈してしまうバグが人間の頭にはあるように思われた。 📝自分を変えようとすることは、古い自分を殺そうとすることで、基本的には、血なまぐさい発想なのだと思う。人はハエや蚊を平気で殺す。見なければ見ないほどに殺せる。意識しないほど殺すことは容易になる。しかし自分を変えたいと言うとき、自分を見つめながら自分を殺そうとしており、当然、殺すことは難しくなる。本当に人が変わるとき、ざぶとんの下にいた虫を知らぬうちに尻で踏んでいたかのように変化するのではないか。変わりたいという感情は、「自分はこのような人間である」という自己規定の残りカスみたいなものなのではないか。 📝おまえが他人の視線だと思っているものはおまえの視線だ。おまえの視線は、おまえの視線だという理由では束縛の力を持てないために、他人を偽造している。
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