たけうち "走ることについて語るときに僕..." 2026年1月8日

走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)
哲学相談と呼んで一対一の対話をやっているのだが、私のやっていることは伴走と呼ばれることがある。 実存の危機に際して、または自分のことをもっとよく知りたい、自分の人生が何なのか知りたいというゲストの探究心に寄り添って、人生の一時期をともに走る。どんなに立ち止まりたい、自分を振り返りたいと思っても、そのひとには仕事があり、生活がある。だから私も一緒に走る。 この哲学相談のともに走るという営みは、ゲストと友になる試みでもある。友は友達ではない。友というのは、互いに関係へと巻き込まれ、もう出会う前には戻れないようなひとのことを指す。そのような友なしに、私は文字通りここまで生き延びることは出来なかったし、友はいつも途方に暮れる私を見つけてくれた。 郵便局に荷物が届いていますので取りに来て下さい、という通知を手に取り、宛先に友の名前を見つける。そのひとは、私がその宛先の名前を見てどれほど喜んだか、知らないだろう。どんなに離れていてもともに走っているのだ、と思い、思わせてくれることに私がどれほど感謝しているか、知らないだろう。 生きていても哲学相談をしていても確信することは、ひとは孤独には生きていけない、ということだ。私たちは、ともに走る友を必要とする。
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