走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)

10件の記録
たけうち@von_takeuchi2026年1月8日読んでる哲学相談と呼んで一対一の対話をやっているのだが、私のやっていることは伴走と呼ばれることがある。 実存の危機に際して、または自分のことをもっとよく知りたい、自分の人生が何なのか知りたいというゲストの探究心に寄り添って、人生の一時期をともに走る。どんなに立ち止まりたい、自分を振り返りたいと思っても、そのひとには仕事があり、生活がある。だから私も一緒に走る。 この哲学相談のともに走るという営みは、ゲストと友になる試みでもある。友は友達ではない。友というのは、互いに関係へと巻き込まれ、もう出会う前には戻れないようなひとのことを指す。そのような友なしに、私は文字通りここまで生き延びることは出来なかったし、友はいつも途方に暮れる私を見つけてくれた。 郵便局に荷物が届いていますので取りに来て下さい、という通知を手に取り、宛先に友の名前を見つける。そのひとは、私がその宛先の名前を見てどれほど喜んだか、知らないだろう。どんなに離れていてもともに走っているのだ、と思い、思わせてくれることに私がどれほど感謝しているか、知らないだろう。 生きていても哲学相談をしていても確信することは、ひとは孤独には生きていけない、ということだ。私たちは、ともに走る友を必要とする。




- bagel@meiy_ou82026年1月4日気になるPage Turnersで紹介されていて気になった。もともとタイトルは知っていたけど村上春樹自体触れたことがなく、最初に読むなら有名な小説の中からどれかかな〜と思いながら1冊も読まずに今に至るという感じだが、いつか読んでみたい。 ここ1〜2年くらいかな、走ること(走れること)に興味、憧れがある。私自身は早く走ることもできなければ持久力もなく、体力もどんどん落ちているのを実感しているけれど、まずは歩くことから始めて少しでも走れるようになりたいなと思っている。思っているだけ……🤦♀️ このエッセイだけじゃなく、走ることに関する小説なども探して読みたくなった。


雫@sukinamono2025年4月24日読み終わった私がこんなにもコンスタントに走ることになったきっかけは間違いなく村上春樹だ。 彼がこんなにもイキイキと楽しそうに走っている様子をエッセイに書いていなければ私はひーこら言いながら苦しい思いをすることはなかった。 でも彼もたとえば大会だとかで長距離走り終わったときに「やれやれ、もうこれ以上走らなくていいんだ」と思うということを知って安心する。 走り続ける理由はほんの少ししかないけれど、走るのをやめる理由なら大型トラックいっぱいぶんあることにも。











