
はに
@828282chan
2026年1月8日

キッチン
吉本ばなな
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主人公である女子大学生のみかげは、唯一の肉親であった祖母を亡くし孤独の身となってしまう。身近な人の死という大きな悲しみに押し潰されそうになりながらも、そこから少しずつ立ち直っていく心の揺れ動きが、繊細に描かれた作品。
この作品を読んでまず印象に残ったのは、悲しみの感情を描写する表現の豊かさだ。
“最後の荷物が私の両足のわきにある。私は今度こそ身ひとつになりそうな自分を思うと、泣くに泣けない妙にわくわくした気持ちになってしまった。”(p.37)
“足を進めることを、生きてゆくことを心底投げ出したかった。きっと明日が来て、あさってが来て、そのうち来週がやってきてしまうに違いない。それをこれほど面倒だと思ったことはない。きっとその時も自分が悲しい暗い気分の中を生きているだろう、そのことが心からいやだった。胸の内が嵐なのに、淡々と夜道を歩く自分の映像がうっとうしかった。”(p.55)
“闇の中、切り立った崖っぷちをじりじり歩き、国道に出てほっと息をつく。もうたくさんだと思いながら見上げる月明かりの、心にしみ入るような美しさを、私は知っている。”(p.66)
みかげが感じている悲しみが、胸にじんじんと沁みてくるようだった。こんな複雑な感情を言葉にできるのか。すごいな、と思った。
次に、作品のタイトルにもなっている「キッチン」について考えてみた。この作品では、食べることと生きることが直列で描かれているように思う。食事が生み出されるキッチンは、いわば「生」の象徴で、作品の主題である「死」と対照をなしている。
主人公のみかげは、キッチンを「この世でいちばん好きな場所」と語る。深読みになってしまうかもしれないが、みかげの生きる強さみたいなものが、ここに表れているような気がする。
居候先の雄一の家のキッチン(台所)を見たみかげの「うんうんうなずきながら、見てまわった。いい台所だった。私は、この台所をひと目でとても愛した。」(p.12)という語りが私は好きだ。一般的に、キッチンという場は生活がありのままに出てしまう場である。キッチンを愛するみかげの「ひと目でとても愛した」という言葉から、この家に暮らす雄一とえり子に対して深い親密さを抱いたことが、ありありと伝わってくる。
この作品で私がいちばん好きなシーンは、なんといっても、雄一を励ますために、みかげがカツ丼を引っ提げてタクシーで飛んで行くシーンである。今の時代であれば、離れた場所にいる人ともスマホで簡単に連絡が取り合える。しかし、作中の時代はそうではない。大切な人が心配でたまらず、翌日の仕事のことも顧みず、えいやー!と会いに行く。元気のかたまりのような、ほかほかのカツ丼を持って。雄一にとって、どれほど心励まされるできごとだっただろう。
生きていれば、途轍もなく大きな悲しみをどうにか乗り越えなくてはならない場面が必ずある。きっと、そんなとき、この物語が心の支えになってくれるだろうと思った。
最後に、なんだかとても惹かれた一節をメモ。お茶目でかわいい。
“わけがわからないなりにも彼はすごくやさしかった。私の気持ちは弱っているので、今すぐアラビアへ月を見に行きましょう、と言ってもうんと言ってくれそうに思えた。”(p.83)
