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はに
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@828282chan
ふだん年に2〜3冊しか本を読まない人間なのですが、唐突に読書欲が湧いたので、記録をつけてみることにしました。早々に飽きないことを願うばかり。内向的で偏愛体質。
  • 2026年1月10日
    遠慮深いうたた寝
  • 2026年1月10日
    物語の役割
    物語の役割
  • 2026年1月10日
    掌の小説
    掌の小説
  • 2026年1月9日
    少女コレクション序説
  • 2026年1月9日
    眠れる美女
    眠れる美女
    表題作の『眠れる美女』を読み終えた。 この作品は知人から教えてもらったのだけど、そのときに聞いたあらすじが「薬で眠らされた少女に、キモおぢがあれやこれやする話で……」という感じだったので、ニチャァとした嫌なキモさがありそうでイヤだなと、食わず嫌いならぬ読まず嫌いをしてしまっていた。主人公が老人男性という、自分とはかけ離れた属性であるところも、感情移入ができなさそうで食指が動かないポイントだった。 ところが。 先日、チャットAIに「小川洋子が好きなんだけど、他の作家でおすすめを教えて」と聞いてみたところ、ドンピシャでこの作品を推薦された。それならば……と、読んでみることにした。 読んでみれば、予想に反して、やわらかく美しい文章に魅了された。上品で官能的な描写。全編通して嫌なキモさというのを全く感じなかった、描かれている行為そのものはだいぶキモいのに。さすが、文豪と呼ばれる人の作品だ。(川端康成の作品をまともに読むのが初めてだったので、新鮮に「こんな作風なのか」と驚いた。) 主人公の老人男性に感情移入できるかしら?という心配も杞憂だった。老いや死への不安、愛情の渇望、欲望と罪悪感、郷愁の想い、そういった人間として普遍の感情が丁寧に描かれていて、心に響いた。 眠らされて受け身一方の少女に対する眼差しはエロティシズムにあふれている。特にこのシーンは私の嗜好的にグッときた。 「娘は眉をひそめて顔をよけると脣を開いた。舌が下あごにつき、小さく沈むようにちぢまっている。その幼なじみた舌のまんなかに可愛い窪みがとおっている。江口老人は誘惑を感じた。娘のあいた口をのぞいていた。もし娘の首をしめたら、この小さい舌はけいれんするだろうか。(p.62)」 そしてラスト。 そんな終わり方なんだ……! 夢中で読んでしまった。 川端康成の他の作品も読んでみたくなった。
  • 2026年1月8日
    エロティシズム
    エロティシズム
  • 2026年1月8日
    生きるとは、自分の物語をつくること
  • 2026年1月8日
    生命式
    生命式
  • 2026年1月8日
    侍女の物語
    侍女の物語
  • 2026年1月8日
    キッチン
    キッチン
  • 2026年1月8日
    マリエ
    マリエ
    この作者の作品を読むのはこれが初めて。何かにつけて偏愛傾向のある私は、馴染みの作家の本ばかり手に取ってしまいがちなのだけど、書店でたまたま目に入った帯のコピーがどうしても気になって、珍しく衝動買いしてしまった。 帯に書かれたコピーは“恋愛がしたいと、夫は言った。降って湧いた離婚という言葉はまりえの日常を、大きく変えた。”というものだった。身バレしたくないので詳しくは書けないけれど、なんというか、私にとってとてもタイムリーなテーマだった。恋愛と結婚と離婚、子どもを授かるタイムリミット、孤独死、みたいな問題について、自分の思考を広げたい。ちょうどそんなタイミングだった。 離婚の決断につきまとう恐怖のひとつは、将来の孤独だと思う。孤独の果てにある孤独死は、さらに怖い。 「離婚をのもうと決めたとき、まっさきに頭をよぎったのが孤独死だった。この先、誰かと生きていく想像ができなかったから、きっとひとりで死ぬことになるのだろうと思った。(p.41-42)」 本当にそう思うよね、と、主人公のまりえに共感していたのだけど、読み進めていくうち、まりえは普通に人モテするタイプで、この人孤独死なんてしなさそうじゃん、と思った。そして、うっすら人間嫌いの私とは違うタイプだなあと、勝手にちょっと裏切られた気分になった。 まりえは、なんやかんや社交的で、人と接することに対するフットワークが軽い。電話やLINEや手紙や対面で、人とやり取りをするシーンがマメにある。連絡不精の私とは大違いだ。 それに、まりえはとにかく暮らしぶりが丁寧で、生活力とか女子力とか、そういった能力が人並み以上にあるようだった。年下のイケてる男子を急に部屋に招き入れることに躊躇いがないし、そのうえ、一捻りあるいい感じの料理をありものでパパッと作って出せる。もう、そんな人、モテないわけがない。それに引き換え私は、散らかった部屋を片づけもせず、自炊もサボって賞味期限切れの調味料をいくつも冷蔵庫に放置しているような人間である。何の魅力もないくせに、毎夜、将来の孤独に漠然と怯えている。本当に情けない。まりえを見習おう。 「私の幸も不幸も、私が決める。そう、決めた。(p.34)」 本当にそうだ。 ところで。ガーダスープとか葱花餅とか肉餅とか、登場する料理が物珍しくて、ぜんぶ美味しそう。温度を感じる料理の描写が魅力的だ。 巻末の、金原ひとみとの対談エッセイの「離婚は幸せになるための選択肢のひとつ」という話もよかった。私の人生のなかで離婚というものを経験するかしないかはまだわからないけれど、ネガティブな決断でしかないと思っていたものについて、幸せになるための選択肢という考え方は、明るくていいなと思った。
  • 2026年1月8日
    琥珀のまたたき
  • 2026年1月8日
  • 2026年1月8日
    不時着する流星たち
  • 2026年1月8日
    口笛の上手な白雪姫
  • 2026年1月6日
    バタイユ入門
    澁澤龍彦の『エロティシズム』で取り上げられていたバタイユの論が面白そうだったので、まずは「入門」と名のついたこの本を手に取った。 「当時の(今でもそうだろうが)社会通念からして、私生活におけるバタイユは、本当にどうしようもなく下らない奴、自堕落で変態で、人間の屑としか言いようのない男だった。(p.211)」らしい。 この本ではエロティシズムに関する内容は少なかったので、改めて『エロティシズム』を読んでみることにする。
  • 2025年9月30日
    エロティシズム
    ニッチな性的嗜好を持っていると、世間一般的に性行為と呼ばれるものとは全く関係がないような行為を(むっちゃくちゃえろいな)と感じる場面がある。どうしてこんなものにグッときてしまうのか、自分でも理由がわからないことも多い。この本では、古今東西のエロティシズムについて、哲学者や心理学者、作家などの多様な論が紹介されており、その“グッとくる”心情を紐解くヒントが見つかる本だった。 そもそもエロティシズムとは、実用主義的な活動(いわゆる生殖活動)、つまり先に述べた“世間一般的な性行為”とは対立するものであるらしい。 「エロティシズムは、あらゆる実用主義的な活動(生殖や子供への配慮をふくめた、あらゆる社会的活動)に対立するものであって、ただそれ自体を目的とする狂気の欲望なのだ。だから、エロティシズムは悦楽、熱狂、錯乱、狂気などへ高まる宿命を持っており、祭とか、饗宴とか、遊びとか、戦争とか、犯罪とか、あるいはまた芸術とか、宗教とかの方向を目ざすのである。(p.13)」 私が特に興味を惹かれたのは、禁忌に対する侵犯や、死とエロティシズムの関係性を論じているバタイユの思想。私自身の性的嗜好に“刺さる”ものを感じた。今度、バタイユの著書である『エロティシズム』も読んでみようと思う。 他に印象に残ったのは、“受け身一方の処女がいちばんエロい”という話。澁澤龍彦の処女に対する語りの熱量があまりにも高くて、正直、ちょっと引いてしまった。ただ、「わかる」とも思った。女性として生理的にキモと感じるものはあるが、嗜好としては私もキモ寄りの人間なのだ。この本のようにリビドー全開の語りをすることは、現代の価値観的に、なかなか難しくなっている。“不適切”な感性は、個人の内に秘められて出てこない(出せない)時代だ。だからこそ、読んでいて胸が躍った。 「エロティシズムの論理が、到達不可能なものをたえず求めるとすれば、わたしたちの肉欲の視線にすすんで応えようとしない処女こそ、最もエロティックな存在であることは自明であろう。みずから語らぬ存在、受身一方の存在こそ、いちばん客体に近い存在であり、したがって、いちばんエロティックなのだ。(p.86)」 全体的に男尊女卑的な語りも多かったけれど、出版された時代が時代だし、文庫化のあとがきで作者もその点は反省(?)していたし、広く浅くのエロティシズム教養本として非常に楽しく読めた。 表示の絵もカワイイ。
  • 2025年9月5日
    兎とよばれた女 (ちくま文庫)
    澁澤龍彦の最初の妻である、矢川澄子による長編小説。主人公である兎の従順で献身的で、マゾヒスティックとも感じられる思考が内省的に生々しく語られており、小説というよりも自叙伝のような印象を受けた。 神様(男性的な存在/絶対的な力を持つ支配者)と兎(女性的な存在/非力な被支配者)の歪んだ関係性。兎の自己犠牲的な思考の危うさは、作者によるフェミニズム的な問題提起の意図を感じつつも、私の個人的な嗜好としては、マゾヒズム的な色気を纏った心理描写に心惹かれるものがあった。 自分にとって唯一無二の特別な存在から、暴力的に支配されることで感じる恍惚。自らの快のために、能動的に受動的であること。身に覚えがある感情だなあ、と思いながら兎の独白を読んでいた。 「わたしたちが対等でなかったなんて、月並みなことをおっしゃらないでね。つねにみちびくものと、つねに従うもの。つねにもとめるものと、つねにこたえるもの。この、つねにとつねに、というところで、わたしたちは、世にもみごとな対等性をもちつづけてきたのです。(p.15)」 この一文は、私の考えるサディストとマゾヒストの関係性に近い。 「なぜそのような書き方をあえてしたのか。なぜそのように従順にふるまったのか。ほかでもない、待つこと、従うことこそが己の本性にちがいないという、作者のささやかな悟りがあったからにちがいありません。この作者は女です。そして女を、己れそのものを描き出し、ロゴスの明るみにさらけだしてみたかったのです。女であることのよろこびもおかしさも、その滑稽も悲惨ももろともに。(p.121)」 フェミニズム的な問題提起の側面はありつつ、そこに回収はせず、一個人の女性の実感を多面的に描いている。良いも悪いもなく、共感できる心情の描写が多かった。
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