
はに
@828282chan
偏愛を感じる文学が好きです。
- 2026年3月4日
古都川端康成買った - 2026年3月4日
ラピスラズリ山尾悠子買った - 2026年3月4日
夢の遠近法増補山尾悠子買った - 2026年3月4日
高丘親王航海記澁澤龍彥買った - 2026年3月4日
しろいろの街の、その骨の体温の村田沙耶香買った - 2026年3月4日
信仰村田沙耶香買った - 2026年2月16日
生きるとは、自分の物語をつくること小川洋子,河合隼雄読み終わった - 2026年2月12日
授乳村田沙耶香読み終わった - 2026年2月11日
ゆめこ縮緬皆川博子買った - 2026年2月11日
- 2026年2月11日
- 2026年2月11日
- 2026年2月3日
みずうみ川端康成読み終わった買ったお気に入り川端康成の描く変態的な人間がとても好きだ。気色悪い言動や思考をしている人物であっても、筆致が上品であるために不快感が薄められ、ユニークな人間味として興味深く感じられる。背筋がぞわぞわっとしながらも読みたいと思ってしまう、癖になる「キモさ」がある。 この物語の主人公・銀平は、魔性を感じる女性に出逢うと後をつけてしまう癖のある男だ。いわゆるストーカーである。ストーカーという概念が社会に定着する前の時代に書かれた物語ではあるが、独り善がりな行為としての不気味さがしっかりと描かれている。 “銀平があの女のあとをつけたのには、あの女にも銀平に後をつけられるものがあったのだ。いわば一つの同じ魔界の住人だったのだろう。銀平は経験でそれがわかる。水木宮子も自分と同類であろうかと思った時、銀平はうっとりとした。(p.23)” “また銀平が前後不覚の酩酊か夢遊のように久子の後をつけたのは、久子の魔力に誘われたからで、久子はすでに魔力を銀平に吹きかけていたのである。昨日つけられたことで久子はその魔力を自覚し、むしろひそかな愉楽におののいているかもしれない。怪しい少女に銀平は感電していたのだ。(p.36)” 特に印象に残ったキモいシーンがある。少年時代の銀平が、いとこの少女・やよいへの思慕を拗らせてとった行動だ。やよいの愛犬を疎ましく思い、縫針で耳を縫ってやろうかと考える。実行には移さなかったが、紙に絵を書いてそれを縫うという奇行に走る。じとじととした狂気の切り取り方に作家の凄みを感じる。 “やよいの針箱から赤い糸のついた縫針を盗み出すと、日本テリヤの薄い耳に突き通してやろうと思って折りをうかがった。(中略)銀平はその縫針をポケットにかくして、自分の家へもどった。紙にやよいと犬の絵をかいて、その赤い糸で幾針にも縫い、机の引き出しに入れておいたものだ。(p.93)” 心を奪われた少女を待ち伏せするため、道端の溝に潜伏するシーンは、さらに一段ギアの上がったキモさがあった。警察に不審がられたときのために、少し酒を飲んで酔っ払いのふりをするという「まとも」な判断をした上でのこの奇行だから、余計に怖い。 “二三十分もひそんでいるうちに、銀平は石がけの石にでも嚙みつきたくなった。石のあいだからすみれの咲いているのが目についた。銀平はいざり寄って、すみれを口にふくむと、歯で切って、呑みこんだ。呑みこみにくかった。銀平はううっと泣き出すのをこらえた。(p.126)” ここまで主人公のキモエピソードばかり語ってしまったが、この作品には他にもさまざまな人物が登場する。物語が進むにつれ、登場人物についての情報が断片的に明かされ、徐々にひとりひとりの輪郭が浮かび上がってくる。入り組んだ人間関係の繋がりが見えてくるのも面白い。ただ、複数の「なにかありそう」という匂わせが最後まで回収されずに終わってしまい、読後は尻切れとんぼのような印象を受けた。夢の途中で目が覚めたときのような感じだ。しかし、それは不満ではなく、現実・空想・妄想が「みずうみ」のもやのように幻想的に混ざり合う物語の演出として納得感があるものであった。 - 2026年2月3日
美食倶楽部種村季弘,谷崎潤一郎買った - 2026年2月3日
コレクター 下 (白水Uブックス 61)ジョン・ファウルズ読みたい - 2026年2月3日
コレクター 上 (白水Uブックス 60)ジョン・ファウルズ,小笠原豊樹読みたい - 2026年2月3日
- 2026年2月2日
読み終わった買ったお気に入り◾️少女外道 裕福な家庭で育った少女が、出入りの植木職人の息子が怪我をしたのを見て、傷や血に惹かれてしまう「外道」の性癖が自分にあることを自覚する、という物語。その自覚を境に、少女がどのような倒錯に溺れていくのか……と身構えて読み進めたが、予想に反して、すべての歪みは少女の胸の内に閉じ込められたまま物語が終わってしまった。淑やかな美しさを纏った作品ではあったが、私が期待していたのは自身の欲望を受け入れて生きる強かな女性の物語であったため、やや肩透かしを食らったような感覚が残った。 こんな感想を抱くのも、今の私が、自身の嗜好をオープンに語って同好の士と楽しみを分かち合うことのできる、豊かな時代と環境に生きているからなのかもしれない。それって、なんとしあわせなことだろうか。 ◾️隠り沼の 前半と後半で異なる人物視点の構成になっており、物語の終盤で主人公が誰か判明する。最終的にさまざまな情報が繋がり、ひとりの女性像が立体的になっていく様がミステリー小説のようで、読み終わった後、そういうことかぁ、と声が出た。 この作品をひとことで言い表すならば、幼少期に端を発する心の闇に呑まれてしまった女性の物語だ、と思う。自己を犠牲にしても救われないと自覚しながら、あえてその方向に舵を切る決断をしたことに、壮絶な狂気を感じた。ラストシーンの透明感のある静かな情景が、その狂気をより引き立てているようで、強烈な印象に残った。 ◾️有翼日輪 あまりにもよかった。心の機微の描写が緻密で、どうしたらこんなものが描けるのかと、感嘆のため息が出た。 裕福な家庭の少年・圭雄が、やんちゃな同級生の兄・ギイに対して密かに抱く、甘く苦い感情。成長し、フレスコ画家となった圭雄の背中に、同じように淡い感情を抱く男がいる。主題が反復される物語の構図も美しい。 “かすかな物音に、圭雄は我に返った。バケツが視野を垂直に下降しつつあった。そうして、ギイが足場を下りてきた。浅い木箱の中の壁土をバケツに掬い入れながら、圭雄に目を向けた。話しかけたり笑いかけたりはしてこなかったので、圭雄はほっとした。崇拝する対象は、地上のものと対等に言葉を交わしてはならないのだ。”(p.118) “高い足場に上るのは、運動が苦手な圭雄には不可能なのだが、縄が切れたのは自分のせいだと思った。整備兵の点検不備から、事故は生じたのだ。手のひらに残る荒縄の感触。ナイフで切れ目を入れた時の、手応え。自分がギイを死なせた。それは甘美な痛みを圭雄に与えた。圭雄は足の甲に刃物を突き刺し、ギイに殉じた。”(p.124) ◾️標本箱 この作品もとても好きだ。まず、標本箱というモチーフが私は大好きだ。時間の止まったものたちが美しく並んで収められた箱は、それだけで物語的であると思う。 15歳の少女・倫は、亡くなった千江叔母さんの遺品から、親に内緒で鉱石の標本箱を持ち出す。二十数年経ち、久々に故郷に戻った倫は、見知らぬ男の子から「『標本箱』覚えている?」と聞かれる。そこから、標本箱と千江叔母さんにまつわる物語が展開されていく。 私が思うこの作品の魅力は、なんといっても、梛木という男性の登場人物である。千江叔母さんは、ある偶然の出来事を通して、東京からやってきた梛木と出逢う。ふたりは徐々に親交を深めていくが、ある日、梛木は東京に引き上げることを決め、千江叔母さんに別れを告げる。 「僕は溺死しかかっているんだから、近づかない方がいいよ」「溺れそうになっている者は、手近にある何にでもしがみつくだろう。僕にしがみつかれたら、君も溺れる」(p.144) この言葉選びに、梛木という男の知的な色っぽさが詰まっている。梛木の部屋には本がたくさん積まれている描写があるが、いかにも読書家らしいロマンティックな台詞だと思う。標本箱も、もともと梛木の持ち物で、千江叔母さんに贈られたものだった。ふたりで鉱物を見ながら他愛もないおしゃべりをするシーンは、なんとも微笑ましかった。 物語のラストで、声をかけてきた見知らぬ男の子の正体が明かされる。語られていない余白に壮絶なドラマがあったことが仄めかされ、切ない余韻が残った。 - 2026年2月2日
O嬢の物語 (河出文庫 レ 1-1)ポーリーヌ・レアージュ,澁澤龍彦読み終わった買った - 2026年2月2日
ホテル・アイリス小川洋子,小川洋子(小説家)読み終わった買った小川洋子の描くSMという触れ込みに惹かれてこの本を手に取った。好きな作家が好きな題材を扱っていることへの期待よりも、自分のSM観と大きくズレていたら嫌だなあという思いが勝り、読み始めるまで1ヶ月ほどかかってしまった。 結論からいえば、私にはこの作品で描かれているものが「SM」だとは思えなかった。 SMとは、加虐・支配/被虐・被支配という役割を引き受けながらも、双方の合意と信頼関係が前提にあるものだ。現実に危険を伴う行為である以上、そこには成熟した判断能力が求められる。加虐・支配する側は相手の心身の安全に対する全責任があり、される側もリスクを踏まえて主体的に判断する責任があると私は考えている。 物語の中心にあるのは、17歳の少女・マリと、年老いた翻訳家の男の歪な関係性だ。男は、マリの母親が経営するホテルで商売女と揉め事を起こし、声を荒げて女を罵倒する。その場に居合わせたマリは、男の言葉と声に甘美な響きを感じ、心を捕らわれてしまう。 この物語では、マリの被虐・被支配の嗜好と、翻訳家の加虐・支配の嗜好が明確に描かれている。翻訳家の家でのふたりの行為は、縛りや鞭などのSMらしい記号が登場する。しかし、読み進めていくうちに「これは私の思うSMではない気がする」という違和感が積み重なっていった。それらのSM的な記号は、あくまでフェティッシュな雰囲気の演出にすぎないものであると感じた。 一つ目の違和感は、マリがまだ17歳であり、判断能力が未熟な少女であることだ。支配的な母親への反抗心や、思春期にありがちな自己破壊衝動が、マリの行動から透けて見える。「わたしの仕える肉体は、醜ければ醜いほどいい。その方が、自分をうんとみじめな気持にすることができる。」(p.138)というマリの心情からは、翻訳家への愛情や尊敬の眼差しよりも、自傷や自罰に近い衝動が根底にあるように感じてしまう。 二つ目の違和感は、翻訳家が衝動的にマリの髪を切り落としたことだ。マリが翻訳家にとっての聖域(触れられたくない過去)に踏み込みすぎたことに対する、きわめて感情的な暴力行為であると感じた。あの場面は合意の上でのロールプレイではなく、抑制できない怒りの暴走に見えた。翻訳家もまた、人間として未熟なのである。 このように、本作はSM的な要素を孕んでいるものの、成熟した合意と責任の共有という関係の核心が成立していない。描かれているのは、対等なロールプレイではなく、未熟な人間どうし性癖と精神的な欠落がたまたま噛み合ってしまった結果の「共犯関係」である。だから私には、これが「SM」を描いた物語だとは思えなかった。 マリにとって翻訳家は、『ホテル・アイリス』という檻から自分を連れ出して新しい世界を見せてくれた、おとぎ話の王子様のような存在でもあったように思う。しかし、王子様だと思っていたのはマリだけで、翻訳家の正体は悪役に等しいものだった。だからこそ、ラストシーンは「悪役に天罰が下る」という物語らしい必然であるように思えた。
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