
amy
@note_1581
2025年3月10日

ACE アセクシュアルから見たセックスと社会のこと
アンジェラ・チェン,
羽生有希
かつて読んだ
感想
当事者である著者が「他者に性的に惹かれない」という視点から、セックスや社会の常識を問い直すルポエッセイ。
交際・結婚におけるセックスの当たり前とされる役割や、「男らしさ」へのプレッシャー、恋愛と友情の境界、同性同士の恋愛におけるセックスの中心性、フェミニストに対する性的なステレオタイプなど、多岐にわたるテーマを扱っている
人種にも性的なステレオタイプというものがあり、とりわけアジア人女性は性を無化されがちだという。口調がやわらかくて人に仕えたがりで服従的だという。また東アジア人は行儀が良く、”手本となるべきマイノリティ”と考えられていて、極右白人至上主義の人たちはアジア人女性とデートなどの関係を結びたがるという。本邦の環境のせいか、アジア人が白人至上主義の人たちからどういう偏見をされているかというのを知る機会があまりなかったのである意味では新鮮だった。同時に偏見というものには何の根拠もないことがわかり、やはり偏見や何となくのイメージというものは自分のなかに育てていくべきではないとも思った
・言葉は私たちを裏切る。性的な惹かれを達成や興奮それ自体の類義語にすることによって。
これはめちゃめちゃ思い当たりがある。特にフィクションコンテンツ を楽しむオタクで、クィアリーディングに基づく二次創作を愛好するようなファンダムでは特に男性キャラ同士がお互いの信念がぶつかって拳を交えたり、争ったり、勝負事に持ち込んだりするようなイベントが作中で起こる。そういったものに対して”実質セックス”というような言葉を見かける。一度や二度ではなくある程度観測できるものだと思われる
私は二次創作で同性同士の恋愛もの性愛ものの作品を愛好したり創作したりするが、この作中で二者間の感情が激しく行き交うような出来事が”実質セックス”とは思ったことがないのだ
私はデミセクシュアルだと思っているのだが、もしかしてそれが関係しているのだろうか?と思ってみたりもした
ただサンプル数が私だけなのでそのへんの検証がよくわからない。もしAスペクトラムの人で自分はこう、というものを聞かせてくれる人がいたら聞かせてほしいです…切実に…
・欲望がラベルに合わないなら、調整されたり捨てられたりすべきはしばしばラベルなのであって、欲望ではない
内実が社会に用意されたものにあわないのであれば、当然のことながらその内実に即した名前なり入れ物なりが必要になる
もちろんそのなかにはさらに細かい区分けやグラデーションが発生する可能性もあるが、そういうときはまた内実に即したものに変更していけばよいのだと思う。それがなされないと社会から透明化されて存在を消されるからだ。もっとACEの概念が広く知られる必要がある
またこの本で初めて知ったのだが恋愛的な愛が不当に崇め立てられ中心化されることを恋愛伴侶規範と呼ぶらしい。
そして恋愛伴侶規範のせいで独身の人々の調査が不足しているというのだ
このことも私は知らなかった。基本的にみんなが他者と性的な関係を持ちたいということを前提に社会科学などの分野が研究されたりしてきたということらしい。これは本書での指摘を読むまで考えもしなかった。そうなるとあらゆる調査でACEの人が取りこぼされているということになる
そしてそこに気づいていない研究者は今もACEを取りこぼしたまま研究をしているということになる。ラベルの話のでもそうだが、やはり名前がつくことによって存在が認知される、ということは大きい
本書のなかではエースでありながらアローと交際する人たちや実際に性的な行為をしているエースもいることが書かれていた
現実的にそういった営みをしているエースのこともエースとして捉えることやエースであってもパートナーやセックスへの関わりは多種多様で大切なことはあらゆるエースのかたちを受け入れることであるということは章の至るところで書かれている
またフェミニズムでは女性の性の解放がとりわけセックスにアクティブであることと結び付けられいてるがそれに関する批判も本書内ではなされている
エースを解放することがあらゆる人を解放する、そういう力強いメッセージが込められている




