ACE アセクシュアルから見たセックスと社会のこと

25件の記録
- 綿@shelf_soya2025年7月9日読み終わった訳者あとがきにもあるように、とても砕けた口調と学術的な知識、かための文体と比喩表現が織り混ざった文章なので、翻訳は大変だっただろうなと想像されるし、読むのに立ち止まる箇所がゼロではないんだけど、個人的にはこのようなリズムの文章で書かれたクィア・スタディーズに関する本ってとてもいいなと思う。
- 綿@shelf_soya2025年7月7日まだ読んでる強制的性愛社会という視点で自分が生きる社会について考える。自分の属性のステレオタイプとセクシュアリティの関係性を考えてしまい、それが自分の「本当」か判断をつけることが非常にむずかしくなる、という「第5章 ホワイトウォッシュされて」のインターセクショナリティに関する記述の細やかさは、当人にとって○○人(「人種」以外の適当な表現を探している)、ジェンダー、セクシュアリティはいずれも重要なものだが、個別に抜き出すものではなく、その人を構成する全体の一要素であり、それぞれの要素は限定的な仕方で交差しているわけではない、という事実を理解するために非常に助けになった。それは理解のための「事例」ではなく同じ世界に生きている人の現実として提示されていることを忘れてはならないのだが。
- Aruiwa@atodeyomu2025年6月11日読んでるとりあえず2章まで。経験論的に書かれているのでアセクシュアルの正確な定義を追究する本ではなく、しかしそこが重要である(そして読みやすい)。 アセクシュアルは性行為をしない/嫌悪するのではなく、「性的惹かれ」のない人のことを指す、とあっていままでの自分の雑な理解がころっと覆された。性的惹かれ、恋愛的惹かれ、美的惹かれは同じではないということ。 「はい、復唱してくださいね。性的惹かれは性欲動ではありません。これら二つの現象はしばしば取り替え可能なものとして扱われているけれど、それらが別物だと理解することで、エースの経験を説明しやすくなるのだ」p.52 「セクシュアリティは性的指向以上のものであり、惹かれは性的惹かれ以上のものだが、人間はあたかも、性的関心が唯一の理由であるかのように振る舞う。私たち自身が他者に心揺さぶられると感じる理由はそれだけだというように」p.68
- そらばら@kufuku182025年4月8日読み終わった借りてきた松浦優「アセクシュアル アロマンティック入門」集英社(2025)と同時並行で読んだ。ルポエッセイではあるが、多くの言葉や概念を丁寧に説明されてて読み進めやすかった。
- 萌生@moet-17152025年3月12日読みたいこういう本は自分の考えてきたことに疑問を投げかけてくれる。 「それって、そうなのかな?」 私自身はアセクシャルではないけど、読んで性にまつわることへの自分なりの答えが出せればいいな。
- amy@note_15812025年3月10日かつて読んだ感想当事者である著者が「他者に性的に惹かれない」という視点から、セックスや社会の常識を問い直すルポエッセイ。 交際・結婚におけるセックスの当たり前とされる役割や、「男らしさ」へのプレッシャー、恋愛と友情の境界、同性同士の恋愛におけるセックスの中心性、フェミニストに対する性的なステレオタイプなど、多岐にわたるテーマを扱っている 人種にも性的なステレオタイプというものがあり、とりわけアジア人女性は性を無化されがちだという。口調がやわらかくて人に仕えたがりで服従的だという。また東アジア人は行儀が良く、”手本となるべきマイノリティ”と考えられていて、極右白人至上主義の人たちはアジア人女性とデートなどの関係を結びたがるという。本邦の環境のせいか、アジア人が白人至上主義の人たちからどういう偏見をされているかというのを知る機会があまりなかったのである意味では新鮮だった。同時に偏見というものには何の根拠もないことがわかり、やはり偏見や何となくのイメージというものは自分のなかに育てていくべきではないとも思った ・言葉は私たちを裏切る。性的な惹かれを達成や興奮それ自体の類義語にすることによって。 これはめちゃめちゃ思い当たりがある。特にフィクションコンテンツ を楽しむオタクで、クィアリーディングに基づく二次創作を愛好するようなファンダムでは特に男性キャラ同士がお互いの信念がぶつかって拳を交えたり、争ったり、勝負事に持ち込んだりするようなイベントが作中で起こる。そういったものに対して”実質セックス”というような言葉を見かける。一度や二度ではなくある程度観測できるものだと思われる 私は二次創作で同性同士の恋愛もの性愛ものの作品を愛好したり創作したりするが、この作中で二者間の感情が激しく行き交うような出来事が”実質セックス”とは思ったことがないのだ 私はデミセクシュアルだと思っているのだが、もしかしてそれが関係しているのだろうか?と思ってみたりもした ただサンプル数が私だけなのでそのへんの検証がよくわからない。もしAスペクトラムの人で自分はこう、というものを聞かせてくれる人がいたら聞かせてほしいです…切実に… ・欲望がラベルに合わないなら、調整されたり捨てられたりすべきはしばしばラベルなのであって、欲望ではない 内実が社会に用意されたものにあわないのであれば、当然のことながらその内実に即した名前なり入れ物なりが必要になる もちろんそのなかにはさらに細かい区分けやグラデーションが発生する可能性もあるが、そういうときはまた内実に即したものに変更していけばよいのだと思う。それがなされないと社会から透明化されて存在を消されるからだ。もっとACEの概念が広く知られる必要がある またこの本で初めて知ったのだが恋愛的な愛が不当に崇め立てられ中心化されることを恋愛伴侶規範と呼ぶらしい。 そして恋愛伴侶規範のせいで独身の人々の調査が不足しているというのだ このことも私は知らなかった。基本的にみんなが他者と性的な関係を持ちたいということを前提に社会科学などの分野が研究されたりしてきたということらしい。これは本書での指摘を読むまで考えもしなかった。そうなるとあらゆる調査でACEの人が取りこぼされているということになる そしてそこに気づいていない研究者は今もACEを取りこぼしたまま研究をしているということになる。ラベルの話のでもそうだが、やはり名前がつくことによって存在が認知される、ということは大きい 本書のなかではエースでありながらアローと交際する人たちや実際に性的な行為をしているエースもいることが書かれていた 現実的にそういった営みをしているエースのこともエースとして捉えることやエースであってもパートナーやセックスへの関わりは多種多様で大切なことはあらゆるエースのかたちを受け入れることであるということは章の至るところで書かれている またフェミニズムでは女性の性の解放がとりわけセックスにアクティブであることと結び付けられいてるがそれに関する批判も本書内ではなされている エースを解放することがあらゆる人を解放する、そういう力強いメッセージが込められている
- 台湾犬@Masa_SMZ2023年11月3日かつて読んだ人生の多くのことが恋愛、そして結婚、が中心になっている。そこに性のことが絡みつく。でもそれは制度が後付けしていったもの。人と人との付き合い方の本質を知ることができた。