チャモピーピーチャマ "みんなの「わがまま」入門" 2026年1月9日

みんなの「わがまま」入門
序盤で「わがまま」を「自分あるいは他の人がよりよく生きるために、その場の制度やそこにいる人の認識を変えていく行動」と定義する、社会運動入門の本だった。 あえて「わがまま」と社会運動を冷笑する側に寄せた語を設定することで、私みたいな不安がりにも読みやすくつくられてるんだろうな ありがたいところ↓ ・p.132トーンポリシングについて 「説明してよ」=不合理に対する不満を表明するためには論理的に言語化しなくてはいけない、という一種の権力性がある(のでよくない!という話) 高度な説明能力を有さなくてもためらわずに簡単な言葉や粗野なものでもいいのでどんどん発信していこうとのこと 素人が口を出すのは議論の余計な混乱を招くのでは?と保守的な気持ちになる一方、シュクラーみたいに当事者の言語を最も重んじる派もある。草の根レベルではどんな言葉をどれだけ感情的にも発信することが許される一方で、行政なり説得対象なりとの間には論理的な言語による仲介が必要ではないか。 とにかくトーンポリシングがどういう構造になっているのかは理解が進んだかも。 ・p.171『ハマータウンの野郎ども』と「らしさ」 「「イキる」「オラつく」人々にとっては、勉強を意味のないものとし、学校において望ましい価値観を身につけないことこそが、彼らなりの生きる知恵であったり、集団に適応する手段なのでは」 という節がある。反知性主義とか陰謀論もたぶんこのノリ?納得したかも 道理が通っていると社会的に許容できるの境目については曖昧 ・身近なものに引き付けて語ることについて これめちゃくちゃ違和感を感じていた。戦争は「いやだ」より「よくない」の方が適切だという感じ。 しかしこのような伝え方は活動家の意図的なものらしい、難しい政策や外交のことはわからない人にも訴えられるようにとのこと。戦略だったんだ、、 本の中では、身近な問題、自分が当事者であることしか語れなくなってしまうことがデメリットとして挙げられている。でも多分反発する人(私)は逆のデメリットを考えている気がする。 このあたりについて私は、自分の身にかかわるような身近な問題ではなくて大きな仕組みの中で自分の役割とかを見たくて、自分の身の回りのことだけを考えるのがまさに「わがまま」だから気が引ける、と考えている。私が捻くれているはずれの例なんだろうか(徴兵されるのは嫌だと国際法秩序が崩れるのはよくないは同じレイヤーで語れるんだろうか) 読んでも読んでも固い頭は解れない感じがある。シュクラー、ヴェイユを読んだ方がいい(ほんとにそれでいいのか?)
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