糸太 "天人五衰" 2026年1月12日

糸太
@itota-tboyt5
2026年1月12日
天人五衰
天人五衰
三島由紀夫
これまで時代を越えて連綿と続いてきた「宿命」づけられた「純粋」。もっとも相容れないのが「自意識」でありそうなものだが、第四巻ではむしろ、登場人物たちがその自意識にとらわれていく様が描かれているように見える。 たとえば本多は、自意識とそれを超えた世界との狭間で、自分と性質がよく似た透に「夢」を見ようとした。しかし、この壮大な実験の中にも自意識は知らぬ間に忍び寄ってくる。 肉体を通してではなく、ただ「見る」ことはできるのだろうか。死という方法のほかに。 本多は自らの肉体の滅びを前にして、理知を介さずに世界に触れるための気づきを得ていく。 「死を内側から生きるという、この世の少数の者にしか許されていない感覚上の修練を本多はおのずから会得していた。(中略)この世をひとたび終末の側から眺めれば、すべては確定し、一本の糸に引きしぼられ、終りへ向って足並をそろえて進んでいた。(中略)理智はなお動いていたが氷結していた。美はすべて幻のようになった」 この境地に及んで、本多はラストシーンへと導かれていく。これこそ本多の運命だったとも言えるのかもしれない。 そこで衝撃的な言葉と出くわす。これまで紡いできた物語を一気にひっくり返すほどの、凄まじい一言に。 でも、読み終えて思う。妙な納得感があるのだ。とんでもないことを言われたのに、同時に、そりゃそうなるのかもなあと腑に落ちるような。 さて三島由紀夫である。この物語を読んで、市ヶ谷での最期について、すこし印象が変わった。憂国などという言葉以上の世界観が広がる。この入口を感じられただけでも、今回の読書は貴重な体験だったなあ。
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