
くりーむ
@cream
2026年1月12日

読み終わった
著者はまず、えっちさに2つの根本的な分類があると論じ、一方を、崇高のえっちさ、もう一方を、崩れのえっちさ、と呼ぶ。
えっちな経験においては、両者が同時に作動していうるが、基本的には、前者は憧れの感情に結びつき・同化することを求め、後者は共苦に結びつき・ともにあることを志向する説明される。そのうえで両者は、
1. (謎をもった・理解不能な)他者との距離が経験されること
2. その距離が、根本的に埋められないことも経験すること
の2点を共有しているのだと、論じる。
この関係をベースに、著者はえっちであることとエロいこと(微妙に用語法が違うのだが)の区別に言及している。以下、引用する:
「エロティックさに対して、えっちさとは、境界にとどまることだ。それは境界を超えないと願わせる力であるが、しかし、境界を飛び越えるような思い切りのよさ、身軽さはない。そこには、どうしても境界を超えることができない重さと、それゆえの影がある。ゆえにえっちであることは、連帯ではなく停滞である。それはともに手をつなぐことができないことをむしろえっちがり、祝福し、讃える態度だ。」(p.188)
これには喰らってしまった。本を読んでいてパンチを喰らうことって、めったにないのだけど、あまりにも図星だとおもった(私が、エロいではなく、えっちという言葉を用いることにかんして)。とうぜん、これで両者の違いのすべてが尽くされたとはおもわないが、しかしこれは核心をついているように、私にはおもえました。

