
いっちー
@icchii317
2026年1月13日
目的への抵抗
國分功一郎
読んでる
借りてきた
コロナ禍のさなかでの講話が二つ。前半最も興味深かったのは、移動の自由ということの重要さについて。移動の自由が奪われた場合に支配が可能になるということ。
後半は、「不要不急」について。目的をはみ出るものを許さない傾向はコロナ前からすでに進んでいたのではないか。
・贅沢は何らかの限界を超えた支出。
・贅沢は人間の生存にとっては必要がないもの。
→人間の生存にとっての必要という限界を超えた支出が行われるときに、贅沢を感じる。
・浪費とは限界を超えて物を受け取るので、満足する。
・消費は対象が物ではなく記号なので、終わりがない。(「その店に行ったことあるよ」と人に言うためにお店に行く)
→消費のメカニズムを利用して大量消費が可能になる
→消費社会が、贅沢をやめさせ、際限のない消費をうながす。
→むしろ贅沢を求め、浪費するほうが大事なのでは?浪費は満足できるし、止まる。贅沢を求めることによってこそ社会は変わる。
・贅沢は目的からの逸脱がある。豊かさを感じて人間らしく生きるために必要
⇄消費社会の論理を継続するために、目的をはみ出るものを許さない社会になりつつあるのでは
孫引き、アーレント『人間の条件』より
「目的として定められたある事柄を追求するためには、効果的でありさえすれば、すべての手段が許され、正当化される。こういう考え方を追求していけば、最後にはどんなに恐るべき結果が生まれるか、私たちは、おそらく、そのことに十分気がつき始めた最初の世代であろう。」
・目的によって手段が正当化される。(手段の正当化こそが目的を定義するものに他ならない)
・「恐るべき結果」=全体主義。全体主義においては、“チェスのためにチェスをする”ことを認めない。
・ベンヤミンが「目的なき手段」という逆説的な概念を唱えている。(極端に考えてみることの好例)
・キム少年の例。スパイとして国に利用されてしまうが、それでも彼自身はインド社会を知り尽くしており、どこでも如才なく振る舞う。彼はゲームのためにゲームを愛し、人生のための人生を愛する力を持っていた。アーレントは、「キムは自由である」と考えていた。
(続く〜)
(感想)
・平易な文章が連なっているが、重要な概念のオンパレードなので、まとめてみようとすると結構長くなった。
・コロナ禍に読みたかったな〜。もうすっかり過去のことだ、時間ってすごい。
・消費と浪費の違いがいまいち分からん。そのくらい、消費に毒されているかもしれない。そりゃ贅沢して満足して止まるってのはなんとなく分かるけど、時間の概念も入れたら、いくら美味しいもの食べたってお腹が空くじゃないか。いや、美味しいものを食べるために食べるのは贅沢でいいのか。
ほかにも美術館にたくさん行くのは贅沢なのか、消費なのか?興味がある展示を観に行くのは贅沢で、話題だから行くのは消費なのかな。服で考えたら理解できるな。流行り廃れに従って、時代遅れにならないように買うのは消費、高価でも良質で好きなものを買うのが贅沢。確かに、気に入ったものを買ったらたとえばいい鞄なんか買った時、欲がなくなる。
・暇と退屈の人類学の、要約や主張が散りばめられていて、改めて読むぞとなった。
・消費社会が贅沢を退けようとするのは、支出を「もったいない」と思っているからではなくて、すべてを目的と手段の中に閉じ込める消費社会の論理を徹底するため(p157)→薄々思ってたけどやっぱそうか〜
・キム少年のように、“どこに行っても如才なく振る舞う”ことができる人は確かに、自由な感じがする。でもその理由をもっとロジカルに説明されて納得。

