目的への抵抗
44件の記録
saeko@saekyh2026年1月17日「暇と退屈の倫理学」がおもしろかったので。 こちらは高校生向けの講義の書き起こしなので、文章が平易で読みやすい。 感染症の流行を理由に、政府が国民の移動の自由を制限することは許されるのか。政府は合目的的に存在するものなのか。 当たり前だと思っている出来事に対して疑問を投げかけ、会話を重ねていくことの大切さを説いている。 本書のタイトルにもなっている、目的に捉われないことの重要さは共感できる。本書では、目的のない行為は存在しないが、行為が目的を超える範囲で人間は自由であるという。たとえば、売上を向上させるという目的で仕事が発生しても、目的に捉われずにその仕事を楽しめるとき、人は自由であるということだろうか。 これは「暇と退屈の倫理学」でも書かれていた「目の前のことを楽しむ」ということに共通しているのだろうと思った。 一方で、遊びとしての社会活動や政治、というのも書かれていたが、社会活動が目的を超えたら ー たとえば、自分たちを抑圧している何かを解消したいという目的を超えて、参加者がその活動そのものに楽しみを見出すことになったとき ー 参加者にとっては自由を感じる楽しい経験になるかもしらないけれども、方向性を誤ると暴走してしまったりすることにつながらないのかなあと思った。 ただふむふむと納得させられるだけでなく、批判的にも考えさせられる一冊だった。



いっちー@icchii3172026年1月17日読み終わったじっくり読んだ(続き) ・アーレントは、人間がこの世界で生きている=複数の他者とともに生きている上での自由=政治における自由を考えようとしいる。 ・目的を超越したとき、つまり過程そのものが楽しみになるとき=「自由な行為」byアーレント ・手段と目的の連関を逃れる活動=遊び。(アーレントは遊びに通じる言葉として「パフォーマンス芸術」を用いる。完成はパフォーマンスそのものにある。) ・遊びと政治は強い親和性がある。(このことに違和感を覚えるのは、私たちが政治という言葉をほとんど行政管理の同義語として使っているため) ・ある意味自己目的化に近い。 ・「目的のために手段や犠牲を正当化するという論理から離れることができる限りで、人間は自由である。人間の自由は、必要を超え出たり、目的からはみ出たりすることを求める。その意味で、人間の自由は広い意味での贅沢と不可分だといっても良いかもしれません。」p195 ----- 第一部に戻る ・支配の条件について。自然状態では支配は成立しない。(ルソーの自然状態論)移動の自由は支配から逃れるための最低限の条件 ・行政とは、法律によって定められた業務を行う機関。現場に個別案件を一つ一つ処理していく行政には、実は大きな決定権がある。
いっちー@icchii3172026年1月13日読んでる借りてきたコロナ禍のさなかでの講話が二つ。前半最も興味深かったのは、移動の自由ということの重要さについて。移動の自由が奪われた場合に支配が可能になるということ。 後半は、「不要不急」について。目的をはみ出るものを許さない傾向はコロナ前からすでに進んでいたのではないか。 ・贅沢は何らかの限界を超えた支出。 ・贅沢は人間の生存にとっては必要がないもの。 →人間の生存にとっての必要という限界を超えた支出が行われるときに、贅沢を感じる。 ・浪費とは限界を超えて物を受け取るので、満足する。 ・消費は対象が物ではなく記号なので、終わりがない。(「その店に行ったことあるよ」と人に言うためにお店に行く) →消費のメカニズムを利用して大量消費が可能になる →消費社会が、贅沢をやめさせ、際限のない消費をうながす。 →むしろ贅沢を求め、浪費するほうが大事なのでは?浪費は満足できるし、止まる。贅沢を求めることによってこそ社会は変わる。 ・贅沢は目的からの逸脱がある。豊かさを感じて人間らしく生きるために必要 ⇄消費社会の論理を継続するために、目的をはみ出るものを許さない社会になりつつあるのでは 孫引き、アーレント『人間の条件』より 「目的として定められたある事柄を追求するためには、効果的でありさえすれば、すべての手段が許され、正当化される。こういう考え方を追求していけば、最後にはどんなに恐るべき結果が生まれるか、私たちは、おそらく、そのことに十分気がつき始めた最初の世代であろう。」 ・目的によって手段が正当化される。(手段の正当化こそが目的を定義するものに他ならない) ・「恐るべき結果」=全体主義。全体主義においては、“チェスのためにチェスをする”ことを認めない。 ・ベンヤミンが「目的なき手段」という逆説的な概念を唱えている。(極端に考えてみることの好例) ・キム少年の例。スパイとして国に利用されてしまうが、それでも彼自身はインド社会を知り尽くしており、どこでも如才なく振る舞う。彼はゲームのためにゲームを愛し、人生のための人生を愛する力を持っていた。アーレントは、「キムは自由である」と考えていた。 (続く〜) (感想) ・平易な文章が連なっているが、重要な概念のオンパレードなので、まとめてみようとすると結構長くなった。 ・コロナ禍に読みたかったな〜。もうすっかり過去のことだ、時間ってすごい。 ・消費と浪費の違いがいまいち分からん。そのくらい、消費に毒されているかもしれない。そりゃ贅沢して満足して止まるってのはなんとなく分かるけど、時間の概念も入れたら、いくら美味しいもの食べたってお腹が空くじゃないか。いや、美味しいものを食べるために食べるのは贅沢でいいのか。 ほかにも美術館にたくさん行くのは贅沢なのか、消費なのか?興味がある展示を観に行くのは贅沢で、話題だから行くのは消費なのかな。服で考えたら理解できるな。流行り廃れに従って、時代遅れにならないように買うのは消費、高価でも良質で好きなものを買うのが贅沢。確かに、気に入ったものを買ったらたとえばいい鞄なんか買った時、欲がなくなる。 ・暇と退屈の人類学の、要約や主張が散りばめられていて、改めて読むぞとなった。 ・消費社会が贅沢を退けようとするのは、支出を「もったいない」と思っているからではなくて、すべてを目的と手段の中に閉じ込める消費社会の論理を徹底するため(p157)→薄々思ってたけどやっぱそうか〜 ・キム少年のように、“どこに行っても如才なく振る舞う”ことができる人は確かに、自由な感じがする。でもその理由をもっとロジカルに説明されて納得。

ゆらゆら@yuurayurari2025年6月25日読み終わった2つの講演の記録で、前半はコロナ禍で炎上したというイタリアの哲学者アガンベンの発言(=特に、移動の自由まで奪われて何も声を上げない教会の批判)を分析。後半の、消費・必要・目的に取り込まれないための浪費の推奨の話がよかった。そうありたい。 (23.7.9読了)
-ゞ-@bunkobonsuki2025年5月7日「暇と退屈の倫理学」で世間を席巻した國分功一郎が、その続編と位置付けた新書。 大学生、高校生に向けた講和を書籍化したもので、コロナ禍で起きたとある哲学者の炎上騒動、行政の権力優位など、分かりやすく解説してくれる。 ここから私の感想になるが、この本を読んでいて何度か「手段が目的化している」という言葉を想起した。 目的のための手段が、いつの間にか手段そのものに熱中している。「それは危険なことだぞ」と戒める意味合いで使われる。 たが、それは目的を絶対的に神聖視しているからこそ成り立つ。 もしも目的そのものに危険が孕んでいたとしたら、手段が目的と化すのは、手段が目的を食い止めていると言えるのではないか。 何かと肯定される目的という概念へ、本書は疑問を投げかける。一回は読んでみてほしい。
精神科医ぴー@PARTY_chan2025年5月4日読み終わったラスト数十ページがめちゃくちゃ読み応えあった!それまでと読み進めるペースが全く変わって面白くさえあった😂 自由、遊び、目的。もう一回しっかり読み返したいなー。

































