J.B. "サピエンス全史 上" 2026年1月17日

J.B.
J.B.
@hermit_psyche
2026年1月17日
サピエンス全史 上
サピエンス全史 上
ユヴァル・ノア・ハラリ,
柴田裕之
人類史を出来事の連鎖としてではなく、認知・想像・制度という抽象的な力学の連続として再構成する試みであり、その射程は歴史書というよりも、人間存在論に近い。 ハラリが上巻で一貫して行っているのは、なぜホモ・サピエンスだけが地球規模の支配者になりえたのかという問いを、生物学的優位や道徳的進歩といった常套的説明から切り離し、きわめて冷徹な構造分析によって解き直すことである。 本書は人類を特別視しない。 その代わり、人類を虚構を信じる能力を進化させた動物として徹底的に相対化する。 この姿勢こそが、本書を単なる啓蒙書ではなく、読者の世界観そのものを揺さぶる知的装置へと押し上げている。 上巻の中心に据えられる認知革命の議論は、人類史の重心を物質的技術から認知構造へと移動させる。 ハラリにとって決定的なのは、石器の改良や火の使用ではなく、存在しないものを語り、集団で信じる能力の出現である。 神話、精霊、部族の物語、後には国家や法や神といった概念は、いずれも自然界には存在しない。 しかし、それらを実在すると信じる能力こそが、血縁を超えた大規模な協力を可能にし、他のヒト属を圧倒する集団行動を生み出した。 この指摘は、人類の成功を知性や理性の勝利として称揚する従来の物語を静かに解体する。 人類は真理を理解したから勝ったのではなく、虚構を共有できたから勝ったのであり、この逆説的な構図が本書全体の思考を貫いている。 農業革命に対する評価は、その思考の冷酷さを最も端的に示す部分である。 農耕は文明の出発点として語られることが多いが、ハラリはこれを人類の幸福という観点から徹底的に疑う。 狩猟採集民の生活と比較したとき、農耕民はより長時間働き、より偏った食事を強いられ、疫病と階層社会に晒されるようになった。 人口は増え、社会は拡大したが、個々の人間がよりよく生きるようになったとは限らない。 この分析は、進歩史観に対する鋭利な反証であり、歴史が前に進むことと人間が幸福になることを意図的に切り離す。 本書において農業革命は成功物語ではなく、制度が人間を拘束し始める最初の瞬間として描かれる。 上巻後半で扱われる貨幣、帝国、文字といった制度的発明もまた、同じ視座で再解釈される。 貨幣は経済合理性の産物ではなく、見知らぬ他者を信用するための物語装置であり、帝国は暴力だけでなく普遍的秩序という虚構によって多様な文化を統合してきた存在として描かれる。 ここで重要なのは、これらの制度が善か悪かではなく、どのようにして人間の行動を方向づけてきたかという点である。 法や権利、国家といった概念は自然法則ではなく、共有された信念の結果としてのみ機能する。 その意味で、人類の歴史は制度の歴史である以前に、想像力の歴史であるという理解が提示される。 ただし、この上巻の語りは、その明晰さゆえに危うさも孕んでいる。 広大な時間と空間を一つの理論枠で貫くため、個別の地域差や文化的多様性は意図的に捨象されている。 仮説と実証の距離が曖昧な箇所もあり、学術的厳密性という点では異論の余地がある。 しかし、それは欠陥というよりも、本書の方法論的選択である。 ハラリは細部の正確さよりも、世界をどう見るかという認知の転換を優先する。 その大胆さこそが、本書を正しいかどうか以上に考えざるをえない本にしている。 『サピエンス全史 上』は、人類を祝福もしなければ断罪もしない。 むしろ、人類が自ら作り出した虚構にいかに深く支配されてきたかを、淡々と、しかし容赦なく示す。 上巻を読み終えた読者は、文明を誇る視線を失い、人間社会を自然現象に近い距離から眺める視点を得ることになるだろう。 それは安心を与える視点ではないが、思考の自由度を大きく拡張する視点である。 本書上巻の価値は、結論ではなく、その視点そのものにある。
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