
ジクロロ
@jirowcrew
2026年1月18日

シモーヌ・ヴェイユ アンソロジー
シモーヌ・ヴェイユ,
今村純子
読み終わった
「人間が集団的なものから逃れうるのは、人格的なものを超え出て非人格的なもののうちに入り込む場合のみである。このとき、その人のうちに何かがある。それは、その人の魂のかけらであり、それに対していかなる集団的なものも影響を及ほしえない。非人格的な善のうちに根づくならば、すなわち、非人格的な善からあるエネルギーを汲み取ることができるようになるならば、その人は、その責務を考えるたびに、他のいかなる支えもなく、どんな集団的なものに対しても、微小だが現実的な力を確実に行使しうる状態にある。」
(『人格と聖なるもの』p.327)
集団に属するということは、外部を創り出すことにつながる。
だから、救済の対象も限定することになる。
「ともかく、具体的に、近々ありうることとして、自分が教会に入ってゆく行為を思い描くとき、信仰をもたない大勢の不幸な人々から離れてしまうと考える以上に、わたしを苦しめるものはありません。人間のあいだで、異なる人間の環境のあいだで過ごすことを、わたしは本質的に必要としており、それを召命といってよいと思っております。それは、その人たちに紛れ、同じ色彩を纏い、少なくとも意識がそれに反しないかぎり、その人たちのあいだで消え去ることによってです。」
(『神を待ちのぞむ』手紙Ⅰ p.75)
ヴェイユは、教会の閾を跨ぐことを拒絶する。
彼女には、集団的なもののおそろしさが本能的にわかっていた。その限定性と、人格的なもの(個性)の要請により、全体主義や誤った民主主義が罷り通ってしまう政治体制を。そして無自覚な宗教の行く末を。
自分には、集団的なもののほんとうのおそろしさを分かっていなかった。
彼女が言葉にしてくれたからこそ、解消されるもどかしさや、ただくふずり続けていただけの不安がたくさん見つかる。
読むことによる浄化作用が。

