
おさとうトマト
@fptoma
2026年1月18日
読書と社会科学
内田義彦
読み終わった
情報を得るための読書に対して、「自分の眼の構造を変え、いままで眼に映っていた情報の受け取り方」、ひいては「生き方」が変わる読書のことを「古典として読む」と定義し、読書論が展開されていく。
「古典」が意味するものは、古い時代に書かれ、その価値が認められている作品のことではない。一度読んだだけでは終わらず、捨てられない想いが残り、何度も何度も読み返して、そのたびに新たなものの見方を得られる作品のことだ。
そう言われれば、大切な本はずっと手元に置いて読み返し、そのたびに新たな発見がある。それらの本は私にとっての「古典」なのだ。
「古典」と向き合うにあたり、重要な信念を一言で表しているのが良い。「信じて疑え」。読者である自分と書き手である作者を、まずは信じて読み進める。その結果、沸き上がってくる「どうして自分はこんなふうに読んだのか」「どうして作者はこんなふうに書いたのか」を深堀りすることが重要だと説く。
流されるままに読むのではいけない。何度も登場する「本は読むべし、読まれるべからず。」の言葉の意味が、少しずつ心に落ちていく感触があった。
後半は社会科学における「概念装置」を獲得するための論で、もう少し知識をつけて再挑戦したい。それでいうと、この本は自分にとっての「古典」になったような気がする。




