本屋lighthouse "水の流れ" 2026年1月19日

水の流れ
水の流れ
クラリッセ・リスペクトル,
福嶋伸洋
宣言どおりリスペクトルを読む。言葉という具体的なものに落とし込まれた瞬間に変質してしまうもの、体験であったり感覚であったりおそらくこれもまた個々によって「言葉にされるもの」は異なる、そのなにかを、どうにかして言葉として残そうとする試み。それが、本人の言葉を借りれば「ジャズの即興演奏」(p.31)のように連ねられていく。たぶんほんとうに、この文章はそのようにして意識の流れのままに書き連ねられている。 あなたという呼びかけを多用する文章からは他者に理解してもらいたいという欲求を見てとることもできるが、おそらくそれは二の次の欲求で、まずあるのは「自分の物語を語ること」による自身の救済であり(つまり「あなた」は書き手自身を、この文章が書かれたその瞬間から距離のあるどこかに存在している書き手を指している、なぜならあらゆる文章は書かれたその瞬間から他者となるからだ)、そこで綴られる物語を他者が理解する/できるかどうかはその他者自身の問題となる。 『翻訳のスキャンダル』を先に読んだことで、そもそも読書自体が翻訳である=テキストをどう読みとるかは読者次第であるということを強く認識させられているからか、リスペクトルの語る物語のなかにある理解できなさは、自分のなかにそのテキストを読みとく=翻訳するための素材がないからで、その他者性=同化されていないテキストを読めることこそ重要なのだと考えることができている。そして理解できたと感じているところも、私のなかにそのテキストを同化するための素材があるからでしかなく、その同化=翻訳にはリスペクトルが具体化を拒んだなにかを具体化してしまったことによる変質や取りこぼしを生み出している危険性もある。 といったことを久しぶりの超満員電車で断片的に思考し、適度な雑味のある喫茶店で書いている。これから独立出版者エキスポに顔を出して油を売る。
本屋lighthouse
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たとえば、 「世界。ぐちゃぐちゃに絡まり合った電線。冥漠たる輝き。それが、世界を前にしたわたし。」(p.34)から数パラグラフ、この箇所は書き手がなんらかのトラウマを持ち、そのことについて書こうとしている(からこそ具体化を拒み抽象のままにしようとしている)ことが読みとれる。 しかしこの読みとりも読者としての私の翻訳であり、あくまでも無限にひらかれた可能性のなかにある解釈のひとつでしかない。
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