
あんどん書房
@andn
2026年1月14日
激しく煌めく短い命
綿矢りさ
読み終わった
『文學界』の連載で最後の数回だけ読んだけど、やはり最初から通して読みたいと思って手に取った。悠木久乃と朱村綸、二人の少女が出会い、恋に落ち、別れ、そして再び出会うまでを描く大作。
辞書並みの厚さになっているのは中学時代と再会後32歳の今を描く二部構成になっていることもあるが、何よりも圧倒的なディテールの描写によるものだろう。たとえば序盤には90年代の京都の中学における同和教育の授業風景が出てくる。恋だけでなく、その周囲にある時代性や社会を描くことへの並々ならぬ熱量が伺える。
『文學界』のインタビューによると、綿矢さんは本作を意識的に「百合小説」として書かれたという。一方で、百合にありがちな「きれいごと」だけで終わってしまう展開にはしたくなかったとも。
個人的に百合というと日常系アニメのゆるふわ系やSNS漫画の関係性重視のようなものを思い浮かべてしまうが、当事者性を娯楽として消費してしまっていいのかという後ろめたさもある。そこを誠実に向き合われている綿矢さんはすごいと思う。
二人の人物像として、久乃は家庭のこともあって、周りから変に思われたりルールを破って怒られないことにものすごく気を遣っている。綸の影響でだんだん遊ぶようにはなってくるけれど、それでも中心の部分は変わらずにいる。一方の綸は周囲の目なんて知ったこっちゃないという溌剌なタイプ。この微妙な噛み合わなさが後々亀裂をもたらしてしまうのだが、それを20年越しに乗り越える展開にはやはりカタルシスがあった。
作品のメインテーマが恋であるならば、もう一つの大きなテーマが「世代」だろうか。90年代というギリギリ昭和の価値観のなかで育ってきた人たちが、急速に変わってゆく時代に取り残されてゆく。どちからというとおじさんメインの作品に多いテーマだが、そんな社会に適応してきてしまったバリキャリとしての久乃もまた、その流れの中で戸惑っている。
“時代性とはそういうものだ。無関係に生きていたように見える人間さえ、その時代の空気に飲み込まれ、溶け込んでいる。”(P528)
戸惑いの中で疲弊してゆく久乃を救ってくれるのは、やはり綸しかいないのだった。
二人は中学生の頃にできなかったことのその先へと進むが、合間合間で中学時代の(書かれなかった)記憶が挟まれていて、あの頃も確かに豊かな時間だったんだなぁと伺えるのが良い。
本文書体:凸版文久明朝
写真:釜谷洋史
装丁:野中深雪


