回寅治 "庭の話" 2026年1月21日

回寅治
回寅治
@Mawari_trahal
2026年1月21日
庭の話
庭の話
宇野常寛
電車が遅延したおかげで幸か不幸か今日だけで100ページくらい読めた。今は孤独についてのところを読んでいる。 私自身、心身が疲れると遁世ムーブをしたくなる。普段留まらない場所を散歩してみたり、思い立って何泊か旅に出たりしてなんとなくスッキリできて日常に戻っていた。そういうこともあって、私の将来のビジョンは、都心への企業勤めでこまごまとSNSで人とつながりを感じようとしながら暮らすよりも、地方と呼ばれるような場所でささやかに小さく身の回りでできることをして暮らすというものだった。つまり、ルーツのある場所へ旅へ出た時の感動がやたら残っていて、それで地方の町内会に出ながら暮らしたいと、都心の個人主義的な人付き合いよりもそっちがいいと漠然と思ってしまっていた。 だが今日読んだ箇所で、私の遁世的心模様についてよりしっくりくる解釈を見つけた。共同体へ回帰することの限界と、今読んでいる「孤独」ということの可能性だ。共同体というものが、現実と仮想のどちらの空間でも村八分的な状況をもたらすという説明には、意表を突かれたもののどこかでピンとくる納得感があった。確かに遁世している時は行った先に暮らす人々とは一切触れ合っていない。私はあくまで旅人で、住人とははなから境界線を引いた上で土地を訪れている立場なのだ。そのため、コミュニティの外側にいる余所者である私は、遁世先で共同体を意識することがあまりなかったのだろう。私が遁世に求めていたのは、見知らぬ人々の暮らす知らない土地をひとりで彷徨っていることなのかもしれない。つまり目の前の景色や音や人の暮らし模様などの事物にとことん向き合い、ひたすら「孤独」でいる時なのだろう。 積読していたが自分とこの本との境界をなんとなく見つけられたような気がする。筆者の語り口が面白い上に、父がテレビで美味しんぼも孤独のグルメも見ているためなんだか言ってることがすんなり入ってしまう。(他にもオタク的なものを引き合いに出していて親近感がアップしてしまう。)引き続き読んでいこうと思う。
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